日本史鎌倉時代

「新古今和歌集」鎌倉時代に和歌の権威を目指した重要書物について元大学教員が5分で解説

新古今和歌集の特徴のひとつが復古的であること。王朝的であると言ってもいいかもしれません。そのため古くの天皇が詠んだ歌も数多く含まれました。その一部を紹介します。

春過ぎて夏来たるらし白妙の衣干すてふ天の香具山(持統天皇)
高き屋に登りて見れば煙たつ民のかまどはにぎはひにけり(仁徳天皇)
朝倉や木丸殿にわがおれば名乗りをしつつ行くはたが子ぞ(天智天皇)

新古今和歌集には後鳥羽院自身の歌もはたくさん含まれていました。そのため、後鳥羽院も自ら編纂に関わった可能性もあります。

新古今和歌集を通じて懐かしまれているのは貴族が権力を持っていた時代。そのため、宮中で活躍した有名貴族の歌も含まれました。

ももしきの大宮人はいとまあれや桜かざして今日(けふ)も暮らしつ(山部赤人)
かささぎの渡せる橋に置く霜の露の白きを見れば夜ぞふけにける(大伴家持)
めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲隠れにし夜半(よわ)の月影(紫式部)
あるはなくなきは数添ふ世の中にあはれいづれの日まで嘆かむ(小野小町)

後鳥羽院のモットーは古きよき時代に帰れ。天皇の主導した政治を取り戻せ。武士なんかに和歌が分かるか。過激な言動が多かったこともあり謀反の罪に問われてしまいます。最終的に隠岐に流され死後は怨霊になったと噂されました。

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王朝を懐かしむ後鳥羽院は優美でおだやかな性格のイメージがあるが、実際の姿は攻撃的で過激。そんな人物の力によって新古今和歌集が生れたというのは面白いな。ただ、万葉集や古今和歌集と異なり庶民の歌を全く入れない、そういうスタンスは賛否が分かれる気がする。

4.新古今和歌集の歌にはどんな特徴があるの?

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新古今和歌集が重視しているのが過去の和歌の教え。新しいものを作るというより過去から学ぶ傾向があります。とはいえ、過去の歌の技法をそのまま使うのではなく、さらに洗練させるなどの工夫も凝らしました。そこで生まれた歌に込められたのは、伝統を重んじつつ、現在の世の中の無常をしみじみと思う感情。それをどれだけ読み解けるのかがポイントです。

4-1短歌オンリーの新古和歌今集

万葉集と古今和歌集には、短歌のほか長歌や旋頭歌も含まれています。それに対して新古今和歌集に収録されたのはすべて短歌。後鳥羽院にとって和歌こそすべてだったのです。彼が好んだのは細やかな感情を繊細な言葉で表現することでした。そんな繊細さは、実際の彼の言動とは遠くかけ離れたものでした。

新古今和歌集に採録された歌には細かい技術も数多く使われています。本歌取り、体言止め, 倒置法、連帯止めなど、これでもかと言わんばかりに技術が駆使されました。メロディーは七五調。まるで絵巻物語のように配列されています。これらは選者たちの編纂技術の結晶といえるでしょう。

新古今和歌集の撰者としてよく聞くのは藤原定家。そのほか、源通具(みちとも)、藤原有家(ありいえ)、藤原家隆(いえたか)、藤原雅常(まさつね)、寂連(じゃくれん)と、複数の選者が関わっています。藤原定家以外の歌人も当時は強い影響力を持っていました。

4-2後鳥羽院が新古今和歌集で狙ったことは?

和歌のほかにも武芸や鍛冶にも没頭していた後鳥羽天皇。自ら刀を作り盗賊を捉えたなどの武勇伝が伝えられています。なかでも和歌に対するのめりこみは異常。和歌所を設置して和歌を権威づけするほどでした。和歌所のトップに据えられたのは寄人(よりうど)。和歌の権威の象徴としました。この権威的な点は、庶民の歌をたくさん取り上げた万葉集とはまったく違うところです。

後鳥羽院の狙いは和歌の権威づけることで武士を見下すこと。その結果、歌人たちも権威を求めるようになり、激しい勢力争いを繰り広げるようになりました。当時は後鳥羽天皇だった後鳥羽院は、歌人たちの売り込みや争いを面白いと思ってみていたのかも知れません。

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hikosuke