日本史鎌倉時代

「新古今和歌集」鎌倉時代に和歌の権威を目指した重要書物について元大学教員が5分で解説

よぉ、桜木建二だ。「新古今和歌集」(しんこきんわかしゅう)とは鎌倉時代の初めごろに成立した勅撰和歌集のこと。全20巻から成立しており、天皇や上皇の命により編纂された最後の八代集だ。編纂を命じたのは後鳥羽院。これまでの和歌集とは一線を画する内容とすることが目標とされた。

庶民の歌を入れずに芸術の最高峰を目指したという新古今和歌集の歴史的位置づけや、そこで詠まれた作品について日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

hikosuke

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史や文化を専門とする元大学教員。日本の古典にも興味があり、とくに平安時代がお気に入り。鎌倉時代に成立したとされる新古今和歌集が追求したのは芸術至上主義。そこに含まれている和歌について気になり改めて調べてみた。

1.後鳥羽院により編纂された新古今和歌集

image by PIXTA / 61697961

新古今和歌集とは後鳥羽院の命により編纂された歌集のこと。古今和歌集から数えて八代目にあたる勅撰和歌集です。藤原定家をはじめとす5人の歌人により編纂されました。成立したのは鎌倉時代初期の元久2年。1205年のことです。全部で20巻あり1980首ほどおさめられています。新古今和歌集を特徴づけるのは芸術至上主義。平安時代の美意識を完成させるのみならず、中世の新たな美意識を作り上げたと評価されました。

1-1武家政治の時代に生まれた新古今集和歌集

鎌倉時代のはじまりは、貴族社会が没落して武士階級が権力を持つようになった時代。鎌倉幕府が開かれ、武家政治の時代になりました。とはいえ、将軍である源頼家が伊豆の修禅寺に幽閉。翌年に殺害されるなど血なまぐさい事件が続くなど、北条家、比企家、源家をめぐる政権闘争は続きいていました。そのため天皇家の地位も決して安泰ではありませんでした。

同じ時期、庶民たちのあいだで不安が広まり仏教が流行。親鸞や法然などが仏教の教えを広め、踊念仏がブームとなります。そのような時期、後鳥羽天皇は譲位して後鳥羽院となり絶大な権力をもつように。ひいきされていた御子左家(みこひだりけ)の時代となります。そして藤原俊成と息子の定家が中心となって「新古今和歌集」が編纂されることになりました。

1-2後鳥羽院のお気に入りの「歌の家」

後鳥羽院は武家に負けたくないという強い気持ちを持っていました。そこであえて詠んだのは王朝復古調の歌。武士なんかには分からないだろうと、そのような歌を詠む歌人を集めます。背景にあるのは、宮中では和歌の家が誕生し、和歌論が活発になりました。そして和歌の手法をめぐる対立が広がりました。

戦乱が相次ぐ世の中、貴族たちにとって、歌人にとって天皇のお気に入りになることは生きてゆくこと。そのなかで御子左家(みこひだりけ)と呼ばれる藤原俊成(しゅんぜい)が後鳥羽天皇に重んじられるようになります。そして後鳥羽院の時代には御子左家の勢力がさらにアップ。俊成の息子藤原定家がリーダーとなり、新古今和歌集が編纂されることになったのです。

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