今回は「禅問答」っていう言葉について解説していきます。

「禅問答」っていう漢字を見て仏教が思い浮かんだ人がいるかもしれませんね。そう「禅」は「禅宗」の「禅」です。その禅宗で行われる問答のことを「禅問答」ともいうのですが、現代語の「禅問答」とも関係があるのかな。

今回はその「禅問答」の意味や語源、類義語などについて、大学院卒の日本語教師・むかいひろきに解説してもらうぞ。

ライター/むかいひろき

ロシアの大学で2年間働き、日本で大学院修了の日本語教師。その経験を武器に「言葉」について分かりやすく解説していく。

「禅問答」の意味と語源は?

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「禅問答(ぜんもんどう)」という言葉、聞いたことがあっても意味までは正確に分からないという人が多いかもしれません。「禅」という字から仏教とのつながりを連想した人もいることでしょう。ここでは「禅問答」の意味や語源を、辞書を参考にしながら見ていきます。

「禅問答」は「わけのわからないやり取り・会話」

国語辞典では、「禅問答」の意味は次のように掲載されています。

禅僧が悟りを開くために行う問答。修行者が疑問を発し、師がこれに答えるもの。転じて、真意がとらえにくい問答・会話。

出典:デジタル大辞泉(小学館)「ぜん‐もんどう〔‐モンダフ〕【禅問答】」

禅問答(ぜんもんどう)」は辞書では「真意がとらえにくい問答・会話」や「わかったようなわからないようなやりとりや、かみあわない問答」という意味で掲載されていることが多いです。つまり、お互いに内容を理解して会話が進められているかが分からない、「わけのわからないやり取り・会話」を示すのが「禅問答」だと言えます。

例文を見てみましょう。

1.小学生の喧嘩は、外から見ていると禅問答のようにしか見えず、なぜ喧嘩になっているのか分からない。
2.上の階の物音がうるさいので苦情を言いに行ったが、「うちの家からの音ではない」と取り合ってもらえず、禅問答になった。
3.部下に昨日のミスについて注意をしたが、彼はなぜ自分が注意されているのか理解しておらず、周りから見たら禅問答をやっているようにしか見えなかっただろう。

例文1は、小学生の喧嘩について「禅問答」を使って、”話が噛み合っておらず、なぜ喧嘩になっているのか分からない”ということを表しています。子供たちの喧嘩は、本人たちは真剣なのですが、周りの大人から見ると話が噛み合っていないことも多いですよね。

例文2は、上の階に住む人の騒音について苦情を言いに行ったが、”苦情を取り合ってもらえず、まともな話ができなかった”ことを「禅問答」を使用して表しています。苦情について頑として認めず、意味不明なことを言い出す人、いますよね…。

例文3では、上司が部下のミスについて注意していますが、部下が”なぜ注意されているのか理解していないため、話が噛み合わない”ことを「禅問答」を使用して表しています。いくらミスを注意しても、注意される側がミスをミスと認識しない限りは、話は進みませんよね…。

なぜ“禅”なのか。仏教・禅宗とのつながり

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では、なぜ「"禅"問答」なのでしょうか。「禅問答」は本来、「禅宗の修行の一環として行われる、修行者が疑問を問い、師家がこれに答えるやり取り」のことを指します。ただ、このやり取りの中には非論理的・抽象的な質問や回答も多く、文字を読んだだけでは何について話しているのか分からない…といったことも多々あるそうです。そこから「禅問答」=「わけのわからないやり取り」という意味が派生していきました。

ちなみに、「禅宗」は仏教の宗派の中の1つで、日本では公式には鎌倉時代以降に伝わったとされています。また、「禅宗」における「禅問答」の正式な名称は「公案(こうあん)」です。

「禅問答」の類義語や似た意味の表現は?

「禅問答」の類義語は、「蒟蒻問答」「頓珍漢」「ちぐはぐ」です。いずれの言葉も、”的外れ”や”つじつまが合わない”などのニュアンスを表します。それぞれ個別に見ていきましょう。

「蒟蒻問答」落語から生まれた“わけのわからないやり取り”

蒟蒻問答(こんにゃくもんどう)」も「わけのわからないやり取り」という意味を持つ慣用句です。「禅問答」と意味やニュアンスの違いはありません。ただ、「禅問答」は仏教の禅宗の修行法が由来ですが、「蒟蒻問答」は「蒟蒻問答」という題目の落語が由来となっています。

ちなみに落語の「蒟蒻問答」は、成り行きでお寺の住職になってしまったこんにゃく屋の主人が、旅の僧に禅問答をしかけられたため目や耳が不自由であるフリをしていると、旅の僧は、こんにゃく屋の主人が無言の行と言われる無言を貫く修行を行っていると勘違いし、敬服してしまった…というお話です。こんにゃく屋の主人は答えが分からないから黙っているだけなのに、旅の僧は黙っているのを無言を貫く修行だと勘違いし、話が全然かみ合わない…という笑い話ですね。

「頓珍漢」つじつまが合わない・見当違い

頓珍漢(とんちんかん)」は「物事のつじつまが合わないこと。見当違いであること」「間のぬけた言動をすること。また、そのさまや、その人」という2つの意味を持つ表現です。1つ目の「物事のつじつまが合わないこと。見当違いであること」という意味は「わけのわからないやり取り」という意味を持つ「禅問答」と類義語であると言えるでしょう。「わけのわからないやり取り」のことを「頓珍漢なやりとり」とも言えますね。

\次のページで「「ちぐはぐ」食い違っていたり、調和していなかったり」を解説!/

「ちぐはぐ」食い違っていたり、調和していなかったり

ちぐはぐ」は「二つ以上の物事が、食い違っていたり、調和していなかったりするさま」という意味の表現です。会話や、人と人とのやり取りに対して「ちぐはぐ」が使われる場合、「わけのわからないやり取り」という意味の「禅問答」と類義語になります。つまり、「禅問答」は「ちぐはぐなやり取り」と言い換えることができるわけです。

他にもある仏教に関連した現代語

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最後に、「禅問答」の他の仏教に関連した現代語を少し紹介していきましょう。文字を見ただけで「ああ、仏教と関係するんだろうなぁ」とわかる言葉もあれば、「あ、そうだったんだ」と意外な言葉もあります。

「馬の耳に念仏」

馬の耳に念仏」は「いくら意見をしても全く効き目のないことのたとえ」として使われることわざです。いくら馬に対して念仏を唱えてあげても、馬はその意味を理解せずありがたみも分かりませんよね。このように、話をしても全く意味がない場合に「馬の耳に念仏」は使用されます。「念仏」という言葉が入っているので、仏教とのつながりは分かりやすいかもしれません。

「邪魔」

邪魔」は「妨げること。また、妨げとなるものや、そのさま」という意味の表現で皆さん当たり前のようにご存じかと思います。そしてこの「邪魔」も、実は仏教由来の表現なのです。

本来「邪魔」は、悟りを開くのを妨げる、悪な悪のことを指しました。「邪悪な悪魔」が「邪魔」となり、現在のような意味が生まれていったのですね、

「禅問答」のようなやり取りは避けましょう

今回は「禅問答」について紹介しました。「禅問答」は「わけのわからないやり取り」という意味で、お互いに意味を理解し合っていなかったり、話が噛み合っていなかったりするやり取りを指します。「禅問答」のようなやり取りを避けるためには、まずは相手の話をよく聞くこと、そして自身の立場を明確にすることが大切だと言えるでしょう。

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国語言葉の意味

「禅問答」ってどんな問答?仏教との関係は?意味や語源、類義語を院卒日本語教師がわかりやすく解説

今回は「禅問答」っていう言葉について解説していきます。

「禅問答」っていう漢字を見て仏教が思い浮かんだ人がいるかもしれませんね。そう「禅」は「禅宗」の「禅」です。その禅宗で行われる問答のことを「禅問答」ともいうのですが、現代語の「禅問答」とも関係があるのかな。

今回はその「禅問答」の意味や語源、類義語などについて、大学院卒の日本語教師・むかいひろきに解説してもらうぞ。

ライター/むかいひろき

ロシアの大学で2年間働き、日本で大学院修了の日本語教師。その経験を武器に「言葉」について分かりやすく解説していく。

「禅問答」の意味と語源は?

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「禅問答(ぜんもんどう)」という言葉、聞いたことがあっても意味までは正確に分からないという人が多いかもしれません。「禅」という字から仏教とのつながりを連想した人もいることでしょう。ここでは「禅問答」の意味や語源を、辞書を参考にしながら見ていきます。

「禅問答」は「わけのわからないやり取り・会話」

国語辞典では、「禅問答」の意味は次のように掲載されています。

禅僧が悟りを開くために行う問答。修行者が疑問を発し、師がこれに答えるもの。転じて、真意がとらえにくい問答・会話。

出典:デジタル大辞泉(小学館)「ぜん‐もんどう〔‐モンダフ〕【禅問答】」

禅問答(ぜんもんどう)」は辞書では「真意がとらえにくい問答・会話」や「わかったようなわからないようなやりとりや、かみあわない問答」という意味で掲載されていることが多いです。つまり、お互いに内容を理解して会話が進められているかが分からない、「わけのわからないやり取り・会話」を示すのが「禅問答」だと言えます。

例文を見てみましょう。

1.小学生の喧嘩は、外から見ていると禅問答のようにしか見えず、なぜ喧嘩になっているのか分からない。
2.上の階の物音がうるさいので苦情を言いに行ったが、「うちの家からの音ではない」と取り合ってもらえず、禅問答になった。
3.部下に昨日のミスについて注意をしたが、彼はなぜ自分が注意されているのか理解しておらず、周りから見たら禅問答をやっているようにしか見えなかっただろう。

例文1は、小学生の喧嘩について「禅問答」を使って、”話が噛み合っておらず、なぜ喧嘩になっているのか分からない”ということを表しています。子供たちの喧嘩は、本人たちは真剣なのですが、周りの大人から見ると話が噛み合っていないことも多いですよね。

例文2は、上の階に住む人の騒音について苦情を言いに行ったが、”苦情を取り合ってもらえず、まともな話ができなかった”ことを「禅問答」を使用して表しています。苦情について頑として認めず、意味不明なことを言い出す人、いますよね…。

例文3では、上司が部下のミスについて注意していますが、部下が”なぜ注意されているのか理解していないため、話が噛み合わない”ことを「禅問答」を使用して表しています。いくらミスを注意しても、注意される側がミスをミスと認識しない限りは、話は進みませんよね…。

なぜ“禅”なのか。仏教・禅宗とのつながり

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では、なぜ「”禅”問答」なのでしょうか。「禅問答」は本来、「禅宗の修行の一環として行われる、修行者が疑問を問い、師家がこれに答えるやり取り」のことを指します。ただ、このやり取りの中には非論理的・抽象的な質問や回答も多く、文字を読んだだけでは何について話しているのか分からない…といったことも多々あるそうです。そこから「禅問答」=「わけのわからないやり取り」という意味が派生していきました。

ちなみに、「禅宗」は仏教の宗派の中の1つで、日本では公式には鎌倉時代以降に伝わったとされています。また、「禅宗」における「禅問答」の正式な名称は「公案(こうあん)」です。

「禅問答」の類義語や似た意味の表現は?

「禅問答」の類義語は、「蒟蒻問答」「頓珍漢」「ちぐはぐ」です。いずれの言葉も、”的外れ”や”つじつまが合わない”などのニュアンスを表します。それぞれ個別に見ていきましょう。

「蒟蒻問答」落語から生まれた“わけのわからないやり取り”

蒟蒻問答(こんにゃくもんどう)」も「わけのわからないやり取り」という意味を持つ慣用句です。「禅問答」と意味やニュアンスの違いはありません。ただ、「禅問答」は仏教の禅宗の修行法が由来ですが、「蒟蒻問答」は「蒟蒻問答」という題目の落語が由来となっています。

ちなみに落語の「蒟蒻問答」は、成り行きでお寺の住職になってしまったこんにゃく屋の主人が、旅の僧に禅問答をしかけられたため目や耳が不自由であるフリをしていると、旅の僧は、こんにゃく屋の主人が無言の行と言われる無言を貫く修行を行っていると勘違いし、敬服してしまった…というお話です。こんにゃく屋の主人は答えが分からないから黙っているだけなのに、旅の僧は黙っているのを無言を貫く修行だと勘違いし、話が全然かみ合わない…という笑い話ですね。

「頓珍漢」つじつまが合わない・見当違い

頓珍漢(とんちんかん)」は「物事のつじつまが合わないこと。見当違いであること」「間のぬけた言動をすること。また、そのさまや、その人」という2つの意味を持つ表現です。1つ目の「物事のつじつまが合わないこと。見当違いであること」という意味は「わけのわからないやり取り」という意味を持つ「禅問答」と類義語であると言えるでしょう。「わけのわからないやり取り」のことを「頓珍漢なやりとり」とも言えますね。

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