
「悲愴」の使い方・例文
次に「悲愴」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。
1.新聞記者が事故現場に到着すると、辺り一面に悲愴な空気が流れていた。
2.医者から余命を告げられた瞬間、悲愴な思いに押しつぶされそうになった。
3.度重なる不幸に見舞われたことで、彼女の顔には悲愴感がただよっていた。
どの例文からも、心が張り裂けそうな悲しみや痛ましさが伝わってきますね。「悲愴」という言葉を使う場面には、励ましや慰めの言葉をかける余地のない雰囲気があることが分かるでしょう。
そんな世界を表現する曲がクラシック音楽にあります。ベートーベンのピアノソナタ第8番ハ短調とチャイコフスキーの交響曲第6番ロ短調。どちらの曲にも『悲愴』という標題がついています。とても有名な曲なので、耳にしたことがある人もいるのではないでしょうか。

「ひそう感」という言葉を普段から使用していた人は、「悲愴感」と「悲壮感」のどちらの意味で用いていただろうか。「悲壮」という言葉には、悲しい状況であっても前を向こうとする感情が入っている。このことを理解して使い分ける必要があるぞ。
次の章からは、類義語と対義語を出して「悲愴」とのニュアンスの違いを見ていこう。
その1「沈痛」
「沈痛(ちんつう)」は「深い悲しみに心を痛めるさま」を表す言葉です。悲しみによって、心が深く沈んだ様子が見て取れるでしょう。「沈痛な面持(おもも)ち」という表現もよく使われていますね。同じ「ちんつう」でも「鎮痛」は「具体的な痛みを鎮(しず)める」という意味なので、間違えないようにしましょう。
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