
端的に言えば果報は寝て待ての意味は「焦らずに時機を待て」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
今回は難関私大の文学部を卒業し、表現技法にも造詣が深い十木陽来を呼んです。一緒に「果報は寝て待て」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/十木陽来
難関私大の文学部卒ライター。現代文芸の表現技法を学びながら趣味で小説を書いたりもしてきた。その知識を使って様々な言葉の意味をわかりやすく丁寧に解説する記事を書いている。
「果報は寝て待て」の意味は?
「果報は寝て待て」には、次のような意味があります。
幸福の訪れは人間の力ではどうすることもできないから、焦らずに時機を待て。
出典:デジタル大辞泉(小学館)「果報は寝て待て」
「果報は寝て待て」とは、幸福や幸運というものは焦っても手に入るものではないため、時期を見て待つ方がよい、という意味のことわざです。また、現状できることはないのに無理に動いても意味がない、もしくは逆効果であるからやめたほうがいい、という戒めの言葉でもあります。
「果報」とは「良い運を授かって幸運であること」という意味です。「授かって」ということからもわかるとおり、自らの力でどうこうできるものではないことは明らかでしょう。ちなみに「果報」を「家宝」と書くのは誤りです。「運は寝て待て」「福は寝て待て」と言われることもあります。
「果報は寝て待て」の語源は?
次に「果報は寝て待て」の語源を確認しておきましょう。「果報(かほう)」とは元々仏教用語です。ビパーカ(vipāka)というサンスクリット語の訳語で、前世の行為や以前に行った行為によって招かれた結果を得ることをいいます。これを「報い(むくい)」といい、良いことをすれば良いことが、悪いことをすれば悪いことが帰ってくる、いわゆる「因果応報」のことを指しているのです。「因果応報」に「果」と「報」の字が入っていることからも、「因果応報」と「果報」には深いつながりがあることがわかるでしょう。
しかし「果報」というのは先に述べた通り、一般的には「幸運」など良い意味で用いられています。本来の仏教用語の意味から少し差があることから、「果報」自体は仏教から来ているものの、「果報は寝て待て」ということわざは仏教の教えから来ているものではない可能性が高いです。なので、「果報」という言葉が良い意味で用いられることが一般的になってから生まれたものと考えられます。
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