大正明治現代社会

3分でわかる「大正天皇」激動の時代を生きた天皇について元大学教員がわかりやすく解説

4.1912年に即位された大正天皇

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1912年7月29日の夜に父である明治天皇が崩御されます。それにより、元号が明治から大正へとと改元されました。それに伴い8月1日に朝見式という儀式が行われます。そこで大正天皇の様子が目撃されるのですが、勅語を朗読している途中に言葉に詰まったとのこと。弁舌が巧みでなかったことが大正天皇のイメージを決定づけてしまいました。

病気により欠席が続いた大正天皇

大正天皇は、即位する前から政治執行の能力が不安視されていましたが、風邪などからたびたび儀式を欠席するようになります。1918年には帝国議会開会式を欠席。1919年の正月の儀式を行ったあと、2か月ほど葉山で静養しました。しかしながら10月に行われた海軍特別大演習では軍令部長が勅語を代読します。

ほかの関係者の支えにより公務を行っていましたが大正天皇の体調はさらに悪化。1919年11月に兵庫県と大阪府で行われた陸軍特別大演習が東京を離れた最後の公務となります。12月の帝国議会開会式に参加する予定でしたが、勅語朗読の練習が上手くいかず、前日に出席がキャンセルとなりました。

皇太子裕仁親王が公務を代わりに行うことも

これまで大正天皇の病状は隠されてきましたが、1920年の3月30日に初めて宮内庁が公表。体調悪化とされました。実際の大正天皇の病状は言語障害や身体の傾斜をともなうもの。しかし公表内容は神経痛とされました。さらに大正天皇自身も自分の病状は十分に認識していなかったと言われています。

そして、体調悪化が公表されたあとは、一部の面会などを除いて静養に専念。行事への参加などは取りやめられました。そこで代わりに業務を遂行したのが皇太子裕仁親王や貞明皇后。皇太子裕仁親王は、のちの昭和天皇のことです。1921年にはさらに病状が悪化。意思疎通が難しくなり、正式に皇太子裕仁親王が摂政に就任しすることになりました。

5.大正天皇はどんな性格だった?

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政治能力が不十分、体が弱かった、言葉が上手く出なかったなど、ネガティブな逸話が多い大正天皇ですが、とても気さくな性格だったことも知られています。人物像も含めて大正天皇の姿を見ていくことも大切になるでしょう。

\次のページで「庶民と触れ合う気さくな性格」を解説!/

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