大正明治現代社会

3分でわかる「大正天皇」激動の時代を生きた天皇について元大学教員が解説

よぉ、桜木建二だ。明治と昭和のあいだの短い期間にあった大正時代。明治天皇の皇男子のなかで唯一成人したものの、小さいころから体が弱く、皇太子時代から体調がすぐれないことが多かった。明治天皇の威信を継承することが期待された大正天皇。崩御されるまで時代に翻弄されたことでも知られている。

明治と昭和のあいだで、のちの評価がいまひとつの印象があるが、激動の時代のなかでどう位置付ければいいのだろうか。それじゃ、現代社会に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。大正天皇は、政治経験を積まずに即位したことから、思ったことをすぐに口に出すなど、周りをヒヤヒヤさせることも多かったが、一般庶民と気軽に世間話をする気さくな性格はみんなに愛された。そんな大正天皇についていくつかの視点から調べてみた。

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1.大正天皇とは?

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楊洲周延 – artsanddesignsjapan.com, パブリック・ドメイン, リンクによる

大正天皇は日本の第123代の天皇で、1912年から1926年まで在位しました。病弱だったこともあり在位期間は14年ほどと短く、明治天皇と昭和天皇という存在感ある天皇の間だったこともあり、どのようなことをしているのか、あまりスポットが当てられてきませんでした。しかしながら、時代の転換期で重要な位置を占める天皇であると考えられます。

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明治天皇の皇男子として生まれる

大正天皇は1879年8月31日に明治天皇の3男として生まれます。長男、次男は成人する前に亡くなり、大正天皇は唯一成人した皇男子でした。昭和天皇の父親でもある大正天皇。九条節子ととのあいだに、昭和天皇はじめ皇男子を4年もうけました。

天皇は複数の呼称を持つのが慣例です。中国の漢字圏の呼び名である諱は嘉仁(よしひと)。皇族が幼少期に与えられる呼び名である御称号は明宮(はるのみや)でした。また、皇族は持ち物にシンボルとなるお印を持つのが慣例だったのですが、大正天皇は壽(じゅ)がお印でした。

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第123代天皇として即位

第123代となるのが大正天皇。父親の明治天皇が崩御されたことで即位しました。第在位期間は1912年から1926年までの14年間。明治時代や昭和時代と比較するとかなりの短さです。幼少期から体が弱く46歳という若さで亡くなったことが、在位期間の短さの理由でした。

昭和天皇の父でもある大正天皇。皇太子時代のお妃選びが二転三転したことでも知られています。相手がなかなか決まらなかったものの、伏見宮禎子女王が内定。しかしながら病気の疑いが指摘され内定が取り消されることに。これは、大正天皇婚約解消事件と呼ばれています。その後、九条節子が妃候補となり、婚約そして結婚が正式に決まりました。

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大正天皇が即位するまえのイメージというと、小さいころから体が弱かった、お妃選びで婚約を解消した、このふたつのインパクトが大きい。そのため、それ以外の若き日の大正天皇像が見えてこない。とはいえ、大正天皇の時代は、日本や世界の転換期でもある。それを踏まえて大正天皇の人生を見ていくと、現在では違った見え方がしてくると思うな。

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2.幼少期から体が弱かった大正天皇

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不明 – 朝日新聞社「週刊20世紀 皇室の100年」, パブリック・ドメイン, リンクによる

大正天皇が東京府にある青山御所の御産所で生れたのは1879年。明治12年のことでした。明治天皇の第三皇子として誕生。生母は権典侍である柳原愛子。典侍(ないしのすけ)とは律令制における官職の一つで、天皇と近い距離にあるため絶大な権力を持っていました。

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