この記事では「三顧の礼」について解説する。

端的に言えば三顧の礼の意味は「人の上に立つものがある人の能力を認め信任し優遇すること」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

語学好きで歴史好き、名古屋出身で6年間のライター経験を持つeastflowerを呼んです。一緒に「三顧の礼」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/eastflower

今回の記事を担当するのは語学好きで英語、中国語が得意な6年目のライター、eastflower。「三顧の礼」の言葉の起源やどんな場面で使えるのかをわかりやすく解説していく。

「三顧の礼」の意味や語源・使い方まとめ

image by iStockphoto

それでは早速「三顧の礼」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「三顧の礼」の意味は?

まずは、「三顧の礼」の辞書の意味を見ていきましょう。

人の上に立つ者が仕事を頼みたい人に特に礼を尽くして交渉すること。また、ある人を特別に信任・優遇すること。

出典:デジタル大辞泉(小学館)「三顧の礼」

「三顧の礼」(さんこのれい)の「顧」とは音読みでは、「かえりみ(る)」と読み、「振り返って見る」、「思いめぐらす」、「目をかける」などを意味する漢字です。

興味や気がなければ、人は振り返って見ることはありませんから、三度も「振り向く」、「思いめぐらす」ということは、相手が非常に大切な存在であることが想像できる言葉ですね。三度も礼を尽くして迎えた相手とは誰だったのか次の語源の由来でお話しましょう。

「三顧の礼」の語源は?

「三顧の礼」の語源は、中国の長い歴史の中でも最も面白い歴史ドラマとして世界中を魅了してきた「三国志」(さんごくし)の中でのあるエピソードに由来しています。漢の再興と世の平和を実現するという大志をいだいた漢王の末柄である劉備(りゅうび)は、国の平和を目指して挙兵したのです。

人格の魅力で劉備のもとには武勇に優れた武者や民衆が集まってくるのですが、なぜか戦いには勝利できず、自分の所領も獲得できずにいました。そんな劉備にある部下がアドバイスします。
「あなたにとって必要なのは優秀な軍師です。山で隠棲している何百年にひとりの才能である優秀な諸葛亮 孔明(しょかつりょう こうめい)を軍師にすれば道は開けます」

劉備は、遠い道のりにも関わらず、山里に住む諸葛孔明を訪れます。
しかし、諸葛孔明は不在。
時が経ったころ、劉備はまた諸葛孔明を訪れます。
しかし、やはり不在でした。

そして3度目に劉備は諸葛孔明の館を訪れ、やっと会うことができたのです。そして、漢王朝の末裔の劉備は20代前半の諸葛孔明を軍師として迎えたいと申し出をしました。このとき、劉備は40代、孔明は20歳そこそこの青年。劉備の申し出を快く受け入れた孔明は、その後劉備のために全力を尽くして戦い続けたのです。

\次のページで「「三顧の礼」の使い方・例文」を解説!/

「三顧の礼」の使い方・例文

「三顧の礼」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。

1. 「彼、三顧の礼でライバル会社に迎えられたと聞いたけど、業界でも最近は名前が出てこないし元気でやっているのかな?」
「それが、新しい会社では社長とそりが合わなくて半年前に辞めたらしいよ。転職って難しいな?」

2. 「三顧の礼」という言葉はあるものの実際には社会経験もキャリアのある人間が才能はあっても年下の人間に助けを求めるのは、なかなか難しいことなのかもしれない。

「三顧の礼」の話のように年や性別に関わらず、才能のある人を見つけ出そうとする態度は大切なことですが、まだまだ、年功序列で若い人よりも年長者の意見や思いが尊重される雰囲気はありますよね。

「三顧の礼」の類義語は?違いは?

image by iStockphoto

それでは、「三顧の礼」の類義語を見ていきましょう。

「最大限の敬意を払う」

「三顧の礼」は、「年齢が年下であり自分の方が社会的に上位の者であったとしても相手を尊敬しお願いすること」ですから、言い換えると「最大限の敬意を払う」とも言い換えることができるでしょう。最近の言葉でいえば「リスペクトする」になるのかもしれませんね。

ただ、「最大限の敬意を払う」では、「三顧の礼」の意味の中の「尊敬する人材として遇する」という意味では伝わりますが、「重要な仕事を任せ優遇する」という意味は持たないため、その点では異なりますね。

\次のページで「「三顧の礼」の対義語は?」を解説!/

「三顧の礼」の対義語は?

「三顧の礼」と同じ意味だとしばしば勘違いされる話にヨーロッパで起きた「三日間雪の中で乞い願った」という皇帝の話があります。

「カノッサの屈辱」という史実です。「三顧の礼」とは対照的な話ですのでご紹介しましょう。

「カノッサの屈辱」

「三顧の礼」が目上の者が目下の者に礼を尽くして重大な使命の遂行を依頼し、優遇することであるのに対して「カノッサの屈辱」とは許しを請うために三日間、雪の上で立ったまま過ごしたという話です。

時は、1077年。聖職者の任命権は皇帝が持つべきだと主張した神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世は、ときのローマ教皇であったグレゴリウス7世から教会からの破門を宣言されたのです。

それを聞いた神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世は北イタリアのカノッサ城に滞在していたローマ教皇を訪問してやっとのことで破門を説かれたのですね。元々は皇帝である自分が聖職者を任命する権利があると考えていたハインリヒ4世は、教皇であるグレゴリウス7世に退位を求めたところ逆に教皇の怒りを買ってしまって三日三晩も許しを請うことになってしまったわけで、「三顧の礼」とは全く違うストーリーだったのです。

「三顧の礼」の英訳は?

image by iStockphoto

それでは、「三顧の礼」を英訳するとどうなるのかをご紹介しましょう。

「show(ing) special courtesy」

「三顧の礼」とは、「三回も足を運んで礼を尽くしてお願いする」という中国から由来した成語ですから、言い換えると、「特別に礼を尽くす」ということになりますね。ピッタリとくる英語の表現のひとつが、「show(ing) special courtesy」になるでしょう。

「show(ing) special courtesy」の「courtesy」(kˈɚːṭəsi)とは、「丁重な行為」のことで他にも「特別扱い」や「優遇」、「好意」などの意味で使われる単語です。
「show(ing) special courtesy」は、「特別に丁重な扱いをする」という意味になります。

「三顧の礼」を使いこなそう

この記事では、故事成語の「三顧の礼」の意味や使い方を見てきました。「三顧の礼」は「人の上に立つ者が、大事を達成するために礼を尽くしてある人に頼み優遇すること」でした。この言葉は三国志に登場する劉備と諸葛孔明との出会いに由来していました。

個人で達成できることには限りがあるものです。どうしても達成したいことがあればその道の達人の助けを誠実にお願いするのも方法のひとつかもしれませんね。

" /> 【故事成語】「三顧の礼」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説! – Study-Z
国語言葉の意味

【故事成語】「三顧の礼」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説!

この記事では「三顧の礼」について解説する。

端的に言えば三顧の礼の意味は「人の上に立つものがある人の能力を認め信任し優遇すること」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

語学好きで歴史好き、名古屋出身で6年間のライター経験を持つeastflowerを呼んです。一緒に「三顧の礼」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/eastflower

今回の記事を担当するのは語学好きで英語、中国語が得意な6年目のライター、eastflower。「三顧の礼」の言葉の起源やどんな場面で使えるのかをわかりやすく解説していく。

「三顧の礼」の意味や語源・使い方まとめ

image by iStockphoto

それでは早速「三顧の礼」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「三顧の礼」の意味は?

まずは、「三顧の礼」の辞書の意味を見ていきましょう。

人の上に立つ者が仕事を頼みたい人に特に礼を尽くして交渉すること。また、ある人を特別に信任・優遇すること。

出典:デジタル大辞泉(小学館)「三顧の礼」

「三顧の礼」(さんこのれい)の「顧」とは音読みでは、「かえりみ(る)」と読み、「振り返って見る」、「思いめぐらす」、「目をかける」などを意味する漢字です。

興味や気がなければ、人は振り返って見ることはありませんから、三度も「振り向く」、「思いめぐらす」ということは、相手が非常に大切な存在であることが想像できる言葉ですね。三度も礼を尽くして迎えた相手とは誰だったのか次の語源の由来でお話しましょう。

「三顧の礼」の語源は?

「三顧の礼」の語源は、中国の長い歴史の中でも最も面白い歴史ドラマとして世界中を魅了してきた「三国志」(さんごくし)の中でのあるエピソードに由来しています。漢の再興と世の平和を実現するという大志をいだいた漢王の末柄である劉備(りゅうび)は、国の平和を目指して挙兵したのです。

人格の魅力で劉備のもとには武勇に優れた武者や民衆が集まってくるのですが、なぜか戦いには勝利できず、自分の所領も獲得できずにいました。そんな劉備にある部下がアドバイスします。
「あなたにとって必要なのは優秀な軍師です。山で隠棲している何百年にひとりの才能である優秀な諸葛亮 孔明(しょかつりょう こうめい)を軍師にすれば道は開けます」

劉備は、遠い道のりにも関わらず、山里に住む諸葛孔明を訪れます。
しかし、諸葛孔明は不在。
時が経ったころ、劉備はまた諸葛孔明を訪れます。
しかし、やはり不在でした。

そして3度目に劉備は諸葛孔明の館を訪れ、やっと会うことができたのです。そして、漢王朝の末裔の劉備は20代前半の諸葛孔明を軍師として迎えたいと申し出をしました。このとき、劉備は40代、孔明は20歳そこそこの青年。劉備の申し出を快く受け入れた孔明は、その後劉備のために全力を尽くして戦い続けたのです。

\次のページで「「三顧の礼」の使い方・例文」を解説!/

次のページを読む
1 2 3
Share: