端的に言えば「いやが上にも」の意味は「その上ますます」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
博士(文学)の学位を持ち、日本語を研究している船虫堂を呼んです。一緒に「いやが上にも」の意味や例文、類語などを見ていきます。
ライター/船虫堂
博士(文学)。日頃から日本語と日本語教育・言語学に対して幅広く興味と探究心を持って生活している。生活の中で新しい言葉や発音を収集するのが趣味。モットーは「楽しみながら詳しく、わかりやすく言葉をご紹介」。後述する「水の東西」は高校国語で習った。
「いやが上にも」の意味や語源・使い方まとめ
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それでは早速「いやが上にも」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。ある世代以下の方はこの文章を目にしたことがあるのではないでしょうか。
「鹿おどし」が動いているのを見ると、その愛嬌のなかに、なんとなく人生のけだるさのようなものを感じることがある。(中略)ただ、曇った音響が時を刻んで、庭の静寂と時間の長さをいやがうえにも引き立てるだけである。
出典 『精選 国語総合 新訂版』大修館書店 「水の東西」より
この文章は高校国語の教科書で非常によく採用されている山崎正和氏の「水の東西」と言う随筆文の一節なのですが、ここで、「いやが上にも」と言う言葉と初めて対峙したという記憶は多くの方が共感できるのではないかと思います。それでは、この「いやが上にも」という表現の意味に迫っていきましょう。
「いやが上にも」の意味は?
それではまず、「いやが上にも」の辞書の記述を確認していきましょう。参照するのは小学館の『精選版 日本国語大辞典』です。
出典:精選版 日本国語大辞典(小学館)「いやがうえに」
語義は3つの文で説明されていますが、いずれにしても、ある状態がそこにあって、そのうえにますますその状態が生じるという意味合いであることがわかります。ですから、先にあげた「水の東西」の文章では「庭の静寂と時間の長さ」がもともとあるのですが、それが鹿おどしの音響によってさらにますます感じられるという意味になるわけですね。
「いやが上にも」の語源は?
次に「いやが上にも」の語源について検討していきます。先ほど引用した辞書の冒頭に、漢字の表記がありました。「いやが上にも」を漢字で書くと「彌が上にも」となります。もっとも、「彌」は新字体の「弥」を使って「弥が上にも」と書いても間違いではありません。一番やってはいけないのが、表記ミスとして有名な「嫌が上にも」で、これは間違いなので注意が必要。
この「彌」という言葉は見慣れないですが、実はこれだけで「ますます」という意味を持っているのです。以下に『精選版 日本国語大辞典』の「彌(いや)」の項目を引用します。
(2)「いや…に」の形をとって、慣用句または一語の副詞のように用いることも多い。平安時代には「ただ…に…」という形にとってかわられ、「いやましに増す」「いやまさりにまさる」が固定的に使われる程度となった。
少々古い言葉に関する記述ではありますが、古来日本語の「や」という言葉には「物事が重なる」という意味があり、万葉の時代から「いや」という形で「ますます」という意味を持っていたわけです。話を戻して、「いやが上にも」は、その「いや」にさらに「上に」という言葉が重なっているわけですから、「その上ますます」という意味合いが明確になっていきます。
「いやが上にも」の使い方・例文
続いて「いやが上にも」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。
1.テストマッチの快勝で、代表チームへの期待はいやが上にも高まった。
2.自身の投球フォームをいやが上にもスムーズにするための取り組みを始める。
3.幼少期の経験が、彼の芸術家としての想像力をいやが上にも繊細にしている。
1.のような使い方がもっとも一般的であると言えるでしょう。「いやが上にも」は「高まる」だとか、「増す」のような、何かの度合いが甚だしくなる語とよく一緒に使われます。
2.は人によっては見慣れない組み合わせかもしれません。それは、一緒に使われている「スムーズにする」が直接的に何かの程度を上げる言葉ではないからです。このように、フォームをスムーズにしたり、外国語を自然にしたりなど、間接的な向上をさらにさせるときにも「いやが上にも」という言葉は使用されます。
3.は、後に続く繊細という言葉を修飾しているという例です。2.にも共通することですが、「繊細」にはもちろん「ますます繊細」という意味はありません。「いやが上にも」という言葉がつくことによってもともと繊細だったものがさらに繊細になるという意味を持つようになるのです。
厄介な「否が応でも」
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「いやが上にも」の理解を邪魔する言葉として「否が応でも(いやがおうでも)」という言葉があります。この表現の存在によって混乱が生じ、「いやが上でも」という言葉の難易度を上げていると言っても過言ではありません。
小学館の『デジタル大辞泉』に以下のような記述があります。ご覧ください。「国語に関する世論調査」とは、文化庁が1995年から行なっている日本語の言葉やコミュニケーションに関する調査です。平成26(2014)年の時点で「いやが上でも」のつもりで「否が応でも」を使用する人が、正確に使用している人を上回ったという結果がこの2語の使い分けのややこしさを表しています。
弥が上に
[副](多く「も」を伴って)なおその上に。ますます。「好守好打の連続で球場は弥が上にも盛り上がった」
[補説]「嫌が上に」と書くのは誤り。
文化庁が発表した平成26年度「国語に関する世論調査」では、本来の言い方とされる「いやがうえにも」を使う人が34.9パーセント、本来の言い方ではない「いやがおうにも」を使う人が42.2パーセントという逆転した結果が出ている。
「否が応でも」
「否が応でも」は「否でも応でも(いやでもおうでも)」という表現の派生で生まれた言葉で、「否」はNOを、「応」はYESを表す、つまり「好むと好まないとにかかわらず」という意味の言葉です。
「いやが上でも」とは全く意味の異なる言葉ですが、やはり発音が酷似しているのと、現代の日本人や日本語学習者が「いや」と聞くと先に「嫌」や「否」を連想してしまうことに原因があるのでしょう。
使い分けのポイントは「いや」の部分を見ていると混乱を生じるので、後に続く「上」と「応」に注目することではないでしょうか。そうすれば「上」ならばさらに上、「応」は「応じる」などとして識別することができます。
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