
その2「さっぱり」
「さっぱり」は否定の程度が非常に甚だしいことを誇張する様子を表す擬態語。例えば「なんでこうなるのかさっぱりわからない」は単独で打消しや否定を伴う述語にかかる修飾語になりますし、また「冷夏でビールの売り上げはさっぱりだった」は「だ」が付いて述語になります。肯定の可能性がまったくないことを表し、話者がその理由を理解していない暗示があるでしょう。この「さっぱり」は「ぜんぜん」に似ていますが、「ぜんぜん」は理由については言及しません。なお「てんで」との違いは「てんで」は否定的な内容の述語にかかる修飾語になるという点です。
その3「ゆめにも」
「ゆめにも」は後ろに打消しの表現を伴って打消しを誇張する様子を表します。「思わない・考えない」などの動詞句にかかる修飾語になることが多いでしょう。ある思いがけない事態が起こったとき、主体が事前にまったく予想していなかったという文脈で用いることが多く、感慨・釈明などの暗示を伴いますよ。例えば「彼と初めて出会った時には、この人と結婚することになろうとはゆめにも思わなかった」は現在話者と彼が結婚する状況に至っていること、また「会社の金をどうにかしようなどとゆめにも考えたことはありません」は現在話者に会社の金を横領して嫌疑がかかっていることが暗示されています。
なお「ゆめにも」は「ぜんぜん」「まったく」などに似ていますが、これらは一般的に打消しを誇張する様子を表す表現。ちなみに「てんで」との違いは「てんで」は程度がはなはだしく劣っていることを侮蔑する様子を表すという点です。
「てんで」の対義語は?
「てんで」と反対の意味に近い言葉をご紹介します。さっそく見ていきましょう。
その1「とうぜん」
「とうぜん」は論理的に帰結するという判断や相手の発言を全面的に肯定する様子を表します。「とうぜん」の表す判断は誰が考えても同じ結果になるという論理的な帰結に基づいており確信の暗示があるでしょう。したがって、自分の行為について用いられた場合にはすでに客観的な事実になっているというニュアンスになり、第三者に有無を言わせぬ断定の暗示を含むことがあります。また「とうぜん」は「あたりまえ」に似ていますが、「あたりまえ」の表す帰結はやや主観的で、大多数のまたは平均的な帰結を暗示するでしょう。
その2「もちろん」
「もちろん」は明白な意見や判断を述べる様子を表しますよ。例えば「もちろん給料は高い方がいい。しかし給料さえよければいいというものではない」は前提を述べて後文の逆接で反転させる用法です。さらに「彼はスポーツ万能で、陸上部はもちろんのこと球技も水泳も得意だ」は「□□はもちろんのこと」の形で、「時短を励行するには残業をなくすのはもちろんだが、有休をきちんととらせることも大切だ」は「□□はもちろんだが」の形で条件句を作りますよ。主体が自分の主観的な判断でゆきついた結論を述べる様子を表し、議論をせずに結論へ直結させるニュアンスがあるでしょう。
なお「もちろん」は「むろん」や「とうぜん」に似ていますが、「むろん」はとてもかたい文章語でくだけた会話にはあまり登場せず、「もちろん」よりは主観性が弱いです。「とうぜん」は論理上の帰結を表し社会の規範に合致する客観性の暗示があります。
\次のページで「「in the least」」を解説!/