その2「あつかましい」
「あつかましい」は恥じる気持ちや遠慮がなく、人の迷惑をかまわず行動するのを不快に思う様子を表し、その行為を受ける側、あるいは見る側の不快感を表す語です。行為自体の無遠慮さには関係しません。また「あつかましいお願いで恐縮ですが」はほとんど慣用句となった言い方で、人にものを頼むときの前置きです。「すみませんが」や「もうしわけありませんが」などと全く同じ意味をもち、本当に自分で自分の行為を無遠慮だと思っているかどうかには関係しません。
なお「あつかましい」は「ずうずうしい」に似ていますが、「ずうずうしい」のほうがやや客観的で他人の行為について用いることが多く、行為の無遠慮ぶりがより強調されるのに対して、「あつかましい」の不快感にはあきれや怒りの暗示のある点が異なります。全く同じ文脈で「あつかましい」と「ずうずうしい」が用いられると、ニュアンスの違いを生じますよ。ちなみに「しれっと」との違いは恥じる気持ちや遠慮がなく、人の迷惑をかまわず行動するのを不快に思う様子を表すという点でしょう。
その3「ずうずうしい」
「ずうずうしい」は恥じる気持ちや遠慮がなく、人の迷惑をかまわずに行動する様子を表します。「ずうずうしい」は「あつかましい」に似ていますが、「あつかましい」より客観的な表現で、他人の無遠慮な行為が第三者の目から見て不快に見えるというニュアンスを持ち、自分の行為について用いることは少ないでしょう。また「おくめんもない」にも似ていますが、「おくめんもない」はさらに客観的な表現で、「ずうずうしい」にある被害者意識は暗示されていない点が異なります。ちなみに「しれっと」との違いは、「しれっと」は客観的に見て重大なことについて当事者である主体が感情を顔に表さない様子を表すという点。
「しれっと」の対義語は?
「しれっと」と反対の意味に近い言葉をご紹介します。さっそく見ていきましょう。
その1「律儀」
「律儀」は世間の常識に忠実に従う様子を表します。世間の常識とは社会生活を正常に営むための規範ですが、必ずすべての人が厳格に遵守しているわけではありません。「律儀」はそういう世間の常識を厳格に遵守する人の性質や行動を評する語で、厳格に遵守していない立場から見た感心の暗示があります。また、実際の行動に際しては一つ一つ丁寧にこなすという暗示がありますよ。
世間の常識を遵守するという意味で「律儀」は「義理堅い」に似ていますが、「義理堅い」は他人との人間関係を尊重する姿勢に限定するニュアンスがあり、行動一般に表れる規範意識は暗示しません。また、行動に規範意識が表れている点で「律儀」は「まじめ」にも似ていますが、「まじめ」には全力で真正面からぶつかる誠意の暗示があるのに対して、「律儀」は世間の常識に従う暗示があり、個人の意思に基づく行動については用いられません。
その2「義理堅い」
「義理堅い」は人と人との交流を大切にしている様子を表します。「義理」は日本文化に特有の語で、肉親以外の他人から恩を受けること、他人の恩を返さずに負ったままでいることを「義理がある」と言いますよ。このような他人からの恩に報いることが「義理を返す」ことであり、義理を返すことによって人と人との関係をスムーズに保つことができると日本人は考えています。
日本文化においては、他人との人間関係(つまり社会的な人間関係)が個人の希望に優先するので、何をおいても他人の恩に報いることが要求され、それを果たすことによって初めて一人前の社会的人間として認められることになりますよ。また「義理堅い」は「律儀」に似ていますが、「律儀」が一つ一つの行為について真面目で模範的であるというニュアンスがあるのに対して、「義理堅い」はある行為から伺われるその人の人間関係を尊重する姿勢を評した語である点が異なります。
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