『「かろうじて」生きている』という現代病
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現代において、生きていることすら「かろうじて」であるという方は、決して少なくないようです。ショッキングなできごとに対して、一時的に落ち込んで『「かろうじて」元気』と言うこともあるでしょう。
しかし慢性的に『「かろうじて」生きている』と感じるならば、とても根深い課題が絡んでいるかもしれません。この課題に関連する言葉として、ここでは昨今よく聞くようになった「自己肯定感」と「愛着障害」についてすこし触れてみます。
簡単には改善できない?「自己肯定感」
『自己肯定感が低い人』とか、『自己肯定感を高めよう!』などというセリフを見かけることが多くなりました。『自分で自分を認められないと自信を持てずに落ち込みやすい』などと理屈を聞けば、『なるほど!』と納得してしまいがち。
自己肯定感が低い人というのは、往々にして成育歴に愛情が欠けていたということがしばしばあります。幼少期に親から否定されることの多かった人が、成人してから今更『自己肯定感を高めよう』などと言われても、付け焼刃の対症療法ではどうにもなりません。
自分の過去や自分の親と向き合い、根本的に変わっていくためには、相当な痛みをともなうもの。なぜなら、ときには自分の半生を否定することが必要になると思われるからです。
「愛着障害」とは?
近年注目があつまりつつある「愛着障害」。この名前を聞いたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。「愛着障害」とは端的に言うと、養育者との絆がうまく造られなかったために、対人関係などにトラブルを抱えやすくなること。
先述の自己肯定感の低い人も愛着障害に起因する場合があり、他人との関係を壊してしまうようなコミュニケーションの癖を抱えることもあるようです。
『どこのコミュニティでも同じような対人トラブルを抱える』という方は、もしかしたら「愛着障害」からくるコミュニケーションの癖が原因であることも。「愛着障害」について調べたり、臨床心理士に相談したりすると、人生に新しい展開が起こるかもしれませんよ。
「かろうじて」な状況はなるべく避けたいもの
この記事では「かろうじて」について、言葉の意味を包括的に解説しました。また話題の転じたところで、『「かろうじて」生きている』ことが「愛着障害」に起因する可能性をご紹介しています。
ありのままの自分が認められることは、とても幸せなことなのかもしれません。アドラー心理学のベストセラー『嫌われる勇気』では、『人は自由にふるまえるときに愛情を感じる』と述べられています。周囲を気にしすぎて飾った自分で過ごしていると、いずれこころが擦り切れて、『「かろうじて」生きている』状態になってしまうかも。人間関係に窮屈さを感じている方は、一度自分の半生を振り返って「愛着障害」がないかチェックしてみるのも吉でしょう。
この記事が「かろうじて」の意味の理解を深め、物理的にも精神的にも「かろうじて」ではない、余裕のある生活を送るのに役立ちましたら幸いです。