夏目漱石の作品にも登場!「委細頓着」
image by iStockphoto
「委細」という言葉は、夏目漱石の作品『夢十夜』にも登場します。学校の授業でも題材となるこの作品での「委細」について、最後に触れておきましょう。
夏目漱石の『夢十夜』とは?
『夢十夜』は1908年7月25日から8月5日まで、東京朝日新聞で掲載された小説で、漱石の不安や恐怖を登場人物に投影した作品。第一夜~第十夜までの十編で構成される短編小説の集まりとなっており、高校の現代文でも取り扱われる作品です。「委細」は、この中の第六夜に出てきます。
『第六夜』に出てくる「委細頓着」
『第六夜』は、運慶という仏像の彫刻家が、作業を見物している大衆に目もくれず、仁王像の制作に没頭している様を描いた話。それを見た聴衆の一人が、『運慶は木の中にある仁王を掘り出しているだけだ』と言います。『それなら自分にもできるだろう』と家に帰ってやってみたものの、素人の語り手にはできませんでした。それで『明治の木には仁王は埋まっていない』と悟り、『運慶が今日まで生きている理由がわかった』と物語は完結。
この中で、運慶が黙々とノミと槌を動かしている様子が、『見物人の評判には「委細頓着」なく』すなわち、『他人の評判について、こまごまと詳しいことは気にかけずに』と表現されています。
『第六夜』はどう解釈すればいい?
運慶は鎌倉時代の彫刻家ですが、第六夜の舞台は明治時代です。時代の錯綜が混乱を招くかもしれませんが、次のような解釈もあり得るでしょう。
運慶は大衆の評判をものともせず、己の信条の向かうままに仁王像を制作しています。そうした精神のもとで培われた技術は、はた目には『掘り出しているだけ』にみえるほど洗練され、作品は時代を超えても生き続けるものです。そのため鎌倉時代の作品が、明治に至っても活き活きとしていたということ。一方、仏像づくりの信念も技術もなく思い付きでやってみても、当然うまくはいかないことを語り手は悟ったのでしょう。
もしかしたら漱石は、明治という時代に流行りものに飛びつくような世の中の風潮を感じており、危惧していたのかもしれませんね。
「委細」は気づけど気にしすぎずに
この記事では「委細」について、包括的に説明してきました。耳慣れない言葉かもしれませんがたまに見かけることのある言葉ですので、意味をしっかりと押さえておきましょう。
夏目漱石の『夢十夜』にあるような「委細頓着」しない姿勢は、自分軸をブレさせずになにかを成し遂げるには、とても大切な心構えです。しかし周囲の状況や他人の心情について、「委細」を気にかけずに我が道を行くのは、単なる傍若無人というもの。周囲へ気配りをしつつ自分も大切にする、そんな生き方をしたいものですね。
この記事が「委細」の理解に役立ちましたら幸いです。
