マルコ・ポーロとはヴェネツィア共和国の商人であり、アジア各地を旅行した経験がある冒険家。中央アジアや中国各地についての情報をヨーロッパに紹介、アジア遠征を促したことでも知られている。もっとも有名な著書が『東方見聞録』。東洋を黄金の国と紹介して若者に一攫千金の夢を抱かせた。

それじゃあ、東方見聞録とはどんなジャンルの書籍なのでしょうか。世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史や文化を専門とする元大学教員。大航海時代について調べているときマルコ・ポーロの東方見聞録に興味を持った。アジアを黄金の国と位置付け、そこでの習慣を紹介したものの、多くの迷信も流布されたとも言われている。当時の日本に対する意識も含めて調べてみた。

1.東方見聞録の筆者マルコ・ポーロとは?

Marco Polo traveling.JPG
不明 - "The Travels of Marco Polo" ("Il milione"), パブリック・ドメイン, リンクによる

マルコ・ポーロとはヴェネツィア共和国の商人。日本でもなじみがある『東方見聞録』の作者とされていますが実際は口述。とはいえ、中央アジア、中国、日本、東南アジアなどについて紹介した冒険家として知られることになりました。

マルコ・ポーロの幼少期の詳細は不明

マルコ・ポーロの幼少期についてはっきりとは分かっていません。いろいろな説がありますが1254年説が有力。ヴェネツィア共和国で生まれたとされていますが詳細不明です。

マルコが生れた家は代々続く商家。父親は中東貿易で活躍していました。そこでマルコ・ポーロも小さいころから父親に連れられて旅に出るように。その後の活躍の土壌は父親が作ったことは間違いないでしょう。

父親は中東貿易で活躍する商人

父親の名前は父親ニコーロ。中東貿易を通じて莫大な財産を築いていました。ニコーロとマフェオという名の兄弟がいましたが、マルコが生れたころには貿易に従事。すでに家を出てコンスタンティノープルに住んでいました。

小さいころのマルコは父親と二人の兄と生活することはほとんどなし。さらにマルコの母親も早くに亡くなったことから、叔父と叔母に育てられました。家族ばらばらの家に育ったものの、マルコ・ポーロは叔父と叔母によってしっかりと教育を受けています。

2.口述を記して生まれた東方見聞録

World according to Marco Polo.jpg
By Henry Yule - The Book of Ser Marco Polo. London, 1871, vol. I, p. cxxxv (https://archive.org/stream/bookofsermarcopo01polo#page/n145/mode/2up)., Public Domain, Link

東方見聞録はマルコ・ポーロが書いたと思われがちですが、あくまで口述。原本は現存していませんが、写本のさまざまなバージョンが出回りました。写本のあいだにも一定の違いがあります。

当時は100万のウソを書いているという認識も

写本のなかで有名なもののひとつがイル・ミリオーネ。マルコ・ポーロの姓がEmilioneであることから、それが変形してイル・ミリオーネとなったという説があります。

もうひとつの説がアジアで見た100万のことという意味。さらには100万のウソという説もあります。イル・ミリオーネは日本語にすると100万。マルコ・マルコポーロの口述は100万のウソばっかりというニュアンスです。

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世界中の言語で翻訳された東方見聞録

マルコ・ポーロの東方見聞録は世界中で翻訳されました。日本では東方見聞録。ほかの国では世界の記述、驚異の書という意味のタイトルがつけられています。

写本については、イル・ミリオーネのほか、英語圏、スペイン語圏、中国語圏ではマルコ・ポーロ旅行記という名前で浸透。世界中の言語で翻訳され、知らないものはいない大ベストセラーとなりました。

3.東方見聞録は4巻もののシリーズ

image by PIXTA / 44079223

東方見聞録は4巻から成立している長大な書物。それぞれの巻で数多くの国を経由しています。実際に滞在したところもあれば、単なるうわさを聞いただけなど、信ぴょう性は様々。しかし当時の航海者や商人の参考になる書物となりました。

中東から中国までの道のり

1巻目は中国へ到着するまでの道のりについて書かれています。中心となるのが、中東から中央アジアにかけてのこと。2巻目では中国とクビライの宮廷について書かれました。

中国について辻褄が合わないことが多く、実際に見たものではないと推測されています。中国側の文献にもマルコ・ポーロらしき記述はまったくありません。

日本、インド、東南アジアなどの各国事情

3巻目は、 ジパングと呼ばれた日本のほか、インド、スリランカ、東南アジア、アフリカの東海岸について記述されています。とくに3巻目のジパングの記述は、中国で聞いた噂話であるものの、黄金の国というイメージを定着させました。

4巻目はモンゴルで起こっている戦争について。さらにはロシアをはじめとする極北エリアについて記されています。ここでチンギス・カンを創始者とするモンゴル帝国が紹介されました。

4.東方見聞録に記された黄金の国ジパング

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東方見聞録を世界中で読まれるようになったきっかけが黄金の国ジパングについての記述でしょう。ジパングは日本のことで、中国人から聞いた噂話を書いたものです。

中国で聞いた日本のうわさ話

大航海時代、ヨーロッパでは中国の先に黄金の国ジパングがあると考えられていました。ジパングは日本のこと。マルコ・ポーロは日本に来ていないので、あくまでうわさ話とされています。

東方見聞録によると東方の海上1500マイルに浮かぶ島国というのが日本。宮殿や家屋は黄金でできており、たくさんの財宝が隠されているとされました。仏教徒とそれ以外の人がいること、独自の風習があることも記されました。

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黄金のイメージは奥州に由来か?

黄金の国という日本のイメージは、現在の岩手県である奥州にある中尊寺金色堂に由来していると言われています。平安時代後期建立の仏堂であり、奥州藤原氏の初代により建立されました。

中尊寺金色堂は、平等院鳳凰堂とならぶ平安時代の浄土教建築の代表作です。その名のとおり、金色堂の外側と内側すべてが総金箔貼り。そのキラキラした姿の噂を中国人がきき、マルコ・ポーロに伝えたと思われます。

5.インドに関する情報が豊富な東方見聞録

Le livre des merveilles de Marco Polo-pepper.jpg
By Maître de Boucicaut et Maître de Mazarine - This file comes from Gallica Digital Library and is available under the digital ID btv1b52000858n/f173, Public Domain, Link

中国や日本に関する記述は信ぴょう性に乏しい傾向があります。しかしながらインド諸島やインドに関する記述は逆。かなり具体的に書かれており、とくに当時の香辛料取引に興味がある国王や商人に有益な情報を与えます。

香辛料の生産と取引に関する記述

東方見聞録で特に充実しているのがインドに関する記述。当時、世界中で注目されていた香辛料に関する内容がたくさん書かれています。このような情報をもとに香辛料を確保するため、多くのヨーロッパ人はインド方面に進出しました。

また、ジャワ島については、まだヨーロッパで取引されていない貴重な香辛料が生産されていると紹介。香辛料の貿易にまだ伸びしろがあることをほのめかします。ランブリ王国は樟脳、インドはコショウ、シナモン、ショウガの生産国であると記しました。

香辛料は大航海時代の引き金となる

マルコ・ポーロがとくに熱心に記載しているのがインド諸島およびインドに関する情報。当時のヨーロッパではアジアの香辛料のニーズが高まり、さらなる香辛料の輸入が必要とされていました。コロンブスらの大航海時代も香辛料を求めて加速したと言っても過言ではありません。

インド諸島とインドは香辛料の取り引きで栄えているというのが典型的なイメージ。このエリアに乱立している王国と関係を深め、特権的な取り引きを確立させることがヨーロッパ諸国の目標となっていました。東方見聞録はまさにその情報源となっていたのです。

6.中国に関する記載は怪しい東方見聞録

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東方見聞録には中国について記載されていますが、その内容はあまり正確ではありません。マルコ・ポーロは本当に中国に行ったのかが議論されることも多々あります。中国の習俗に関する記載もなく、あったとしても簡素。そのため中国には行っていないという見方もあります。

つじつまが合わない点が多い

東方見聞録には、モンゴル帝国と南宋のあいだの襄陽・樊城(じょうよう・はんじょう)の戦いについて記されていますが、実際に起こったのは2年前。万里の頂上についての記載がまったくないことも不自然です。実際に中国に行っていれば、あれだけの大建築の記述はあるはずでしょう。

当時のヨーロッパではアジアはまだ道の国々。エキゾチックな建築物は興味を惹きつけるだけのものです。しかし中国国内にある宗教的な建築物についても書かれていません。さらには中国のお茶に関する記述もゼロ。中国の宗教である儒教や道教に関しても浅い知識のみとなっています。

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中国文化や風習に関してもノーコメント

当時の中国の風俗を象徴する「纏足」についてもなし。纏足は女性の体をあえて奇形にする、外国人からすると驚くような風習。これだけの独特な風習であれば、きっと記録に残したくなるはずですが、まったくありません。

マルコ・ポーロは中国語にたけており、南西部にある雲南や蘇州・楊州で徴税の実務にかかわったという説も。中国登用説によるとマルコ・ポーロは17年のあいだ滞在。去ることを望んだもののなかなか認められなかったと書かれています。しかし、その内容は冒険色にあふれたもの。事実としては誇張に満ちている一面もあります。

7.マルコ・ポーロがヨーロッパにもたらしたもの

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マルコ・ポーロの東方見聞録は、うわさ話やウソが多いとされているものの、それ以降のヨーロッパ文化や世界史に大きな影響を与えました。そこでマルコ・ポーロがヨーロッパや世界にもらたしたものについてまとめていきます。

パスタの発案者はマルコ・ポーロ?

いわゆるパスタと言われるものの起源はふたつ。マルコ・ポーロが中国からイタリアに伝えたという説と、ギリシアから伝わったパスタ料理をイタリアで進化させたという説です。前者の説をとるなら、パスタの起源はヨーロッパではなく中国ということになるでしょう。

そうなるとパスタ大国のイタリアにとっては不名誉なこと。そこでイタリアは、マルコ・ポーロがイタリアに戻る1年前にパスタがあったこと、つまりイタリアに起源があることを証明しました。しかし、どのように食べられ始めたのか、ヨーロッパに広まったのかははっきりしていません。

コロンブスが航海を志すきっかけとなる

さらにマルコ・ポーロは大航海時代のはじまりにも影響を与えます。クリストファー・コロンブスが航海に出たきっかけはマルコ・ポーロの東方見聞録。黄金の国ジパングを目指してインドの先に行こうとしました。その結果、航路がそれてアメリカ大陸に上陸するに至ります。

近年、コロンブスよりも2世紀以上前に生きたマルコ・ポーロが実はアメリカ大陸の存在を知っていたという検証結果も。マルコ・ポーロが残した手紙のなかに、アメリカ大陸の周辺について記している箇所があるとのことです。

リアルとフィクションのはざまにある東方見聞録

東方見聞録は、どこまで本当なのか、どこから噂話なのか、はっきりしないところが多いことは確か。マルコ・ポーロは嘘ばかり言っているという話もありますが、実は多くのことを知っていた可能性はあります。大航海時代が始まる前に書かれたため、リアルとフィクションが織り交ぜられていることが東方見聞録の魅力。そんな時代性も含めて触れてみてはいかがでしょうか。

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アジアの歴史ヨーロッパの歴史世界史

マルコ・ポーロの「東方見聞録」って?黄金の国の夢を抱かせた著書について元大学教員が5分でわかりやすく解説

中国文化や風習に関してもノーコメント

当時の中国の風俗を象徴する「纏足」についてもなし。纏足は女性の体をあえて奇形にする、外国人からすると驚くような風習。これだけの独特な風習であれば、きっと記録に残したくなるはずですが、まったくありません。

マルコ・ポーロは中国語にたけており、南西部にある雲南や蘇州・楊州で徴税の実務にかかわったという説も。中国登用説によるとマルコ・ポーロは17年のあいだ滞在。去ることを望んだもののなかなか認められなかったと書かれています。しかし、その内容は冒険色にあふれたもの。事実としては誇張に満ちている一面もあります。

7.マルコ・ポーロがヨーロッパにもたらしたもの

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マルコ・ポーロの東方見聞録は、うわさ話やウソが多いとされているものの、それ以降のヨーロッパ文化や世界史に大きな影響を与えました。そこでマルコ・ポーロがヨーロッパや世界にもらたしたものについてまとめていきます。

パスタの発案者はマルコ・ポーロ?

いわゆるパスタと言われるものの起源はふたつ。マルコ・ポーロが中国からイタリアに伝えたという説と、ギリシアから伝わったパスタ料理をイタリアで進化させたという説です。前者の説をとるなら、パスタの起源はヨーロッパではなく中国ということになるでしょう。

そうなるとパスタ大国のイタリアにとっては不名誉なこと。そこでイタリアは、マルコ・ポーロがイタリアに戻る1年前にパスタがあったこと、つまりイタリアに起源があることを証明しました。しかし、どのように食べられ始めたのか、ヨーロッパに広まったのかははっきりしていません。

コロンブスが航海を志すきっかけとなる

さらにマルコ・ポーロは大航海時代のはじまりにも影響を与えます。クリストファー・コロンブスが航海に出たきっかけはマルコ・ポーロの東方見聞録。黄金の国ジパングを目指してインドの先に行こうとしました。その結果、航路がそれてアメリカ大陸に上陸するに至ります。

近年、コロンブスよりも2世紀以上前に生きたマルコ・ポーロが実はアメリカ大陸の存在を知っていたという検証結果も。マルコ・ポーロが残した手紙のなかに、アメリカ大陸の周辺について記している箇所があるとのことです。

リアルとフィクションのはざまにある東方見聞録

東方見聞録は、どこまで本当なのか、どこから噂話なのか、はっきりしないところが多いことは確か。マルコ・ポーロは嘘ばかり言っているという話もありますが、実は多くのことを知っていた可能性はあります。大航海時代が始まる前に書かれたため、リアルとフィクションが織り交ぜられていることが東方見聞録の魅力。そんな時代性も含めて触れてみてはいかがでしょうか。

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