黄金のイメージは奥州に由来か?
黄金の国という日本のイメージは、現在の岩手県である奥州にある中尊寺金色堂に由来していると言われています。平安時代後期建立の仏堂であり、奥州藤原氏の初代により建立されました。
中尊寺金色堂は、平等院鳳凰堂とならぶ平安時代の浄土教建築の代表作です。その名のとおり、金色堂の外側と内側すべてが総金箔貼り。そのキラキラした姿の噂を中国人がきき、マルコ・ポーロに伝えたと思われます。
5.インドに関する情報が豊富な東方見聞録
By Maître de Boucicaut et Maître de Mazarine – This file comes from Gallica Digital Library and is available under the digital ID btv1b52000858n/f173, Public Domain, Link
中国や日本に関する記述は信ぴょう性に乏しい傾向があります。しかしながらインド諸島やインドに関する記述は逆。かなり具体的に書かれており、とくに当時の香辛料取引に興味がある国王や商人に有益な情報を与えます。
香辛料の生産と取引に関する記述
東方見聞録で特に充実しているのがインドに関する記述。当時、世界中で注目されていた香辛料に関する内容がたくさん書かれています。このような情報をもとに香辛料を確保するため、多くのヨーロッパ人はインド方面に進出しました。
また、ジャワ島については、まだヨーロッパで取引されていない貴重な香辛料が生産されていると紹介。香辛料の貿易にまだ伸びしろがあることをほのめかします。ランブリ王国は樟脳、インドはコショウ、シナモン、ショウガの生産国であると記しました。
香辛料は大航海時代の引き金となる
マルコ・ポーロがとくに熱心に記載しているのがインド諸島およびインドに関する情報。当時のヨーロッパではアジアの香辛料のニーズが高まり、さらなる香辛料の輸入が必要とされていました。コロンブスらの大航海時代も香辛料を求めて加速したと言っても過言ではありません。
インド諸島とインドは香辛料の取り引きで栄えているというのが典型的なイメージ。このエリアに乱立している王国と関係を深め、特権的な取り引きを確立させることがヨーロッパ諸国の目標となっていました。東方見聞録はまさにその情報源となっていたのです。
6.中国に関する記載は怪しい東方見聞録
東方見聞録には中国について記載されていますが、その内容はあまり正確ではありません。マルコ・ポーロは本当に中国に行ったのかが議論されることも多々あります。中国の習俗に関する記載もなく、あったとしても簡素。そのため中国には行っていないという見方もあります。
つじつまが合わない点が多い
東方見聞録には、モンゴル帝国と南宋のあいだの襄陽・樊城(じょうよう・はんじょう)の戦いについて記されていますが、実際に起こったのは2年前。万里の頂上についての記載がまったくないことも不自然です。実際に中国に行っていれば、あれだけの大建築の記述はあるはずでしょう。
当時のヨーロッパではアジアはまだ道の国々。エキゾチックな建築物は興味を惹きつけるだけのものです。しかし中国国内にある宗教的な建築物についても書かれていません。さらには中国のお茶に関する記述もゼロ。中国の宗教である儒教や道教に関しても浅い知識のみとなっています。
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