

それじゃあ、東方見聞録とはどんなジャンルの書籍なのだろうか。世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。
- 1.東方見聞録の筆者マルコ・ポーロとは?
- マルコ・ポーロの幼少期の詳細は不明
- 父親は中東貿易で活躍する商人
- 2.口述を記して生まれた東方見聞録
- 当時は100万のウソを書いているという認識も
- 世界中の言語で翻訳された東方見聞録
- 3.東方見聞録は4巻もののシリーズ
- 中東から中国までの道のり
- 日本、インド、東南アジアなどの各国事情
- 4.東方見聞録に記された黄金の国ジパング
- 中国で聞いた日本のうわさ話
- 黄金のイメージは奥州に由来か?
- 5.インドに関する情報が豊富な東方見聞録
- 香辛料の生産と取引に関する記述
- 香辛料は大航海時代の引き金となる
- 6.中国に関する記載は怪しい東方見聞録
- つじつまが合わない点が多い
- 中国文化や風習に関してもノーコメント
- 7.マルコ・ポーロがヨーロッパにもたらしたもの
- パスタの発案者はマルコ・ポーロ?
- コロンブスが航海を志すきっかけとなる
- リアルとフィクションのはざまにある東方見聞録
この記事の目次

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ
アメリカの歴史や文化を専門とする元大学教員。大航海時代について調べているときマルコ・ポーロの東方見聞録に興味を持った。アジアを黄金の国と位置付け、そこでの習慣を紹介したものの、多くの迷信も流布されたとも言われている。当時の日本に対する意識も含めて調べてみた。
1.東方見聞録の筆者マルコ・ポーロとは?
不明 – “The Travels of Marco Polo” (“Il milione”), パブリック・ドメイン, リンクによる
マルコ・ポーロとはヴェネツィア共和国の商人。日本でもなじみがある『東方見聞録』の作者とされていますが実際は口述。とはいえ、中央アジア、中国、日本、東南アジアなどについて紹介した冒険家として知られることになりました。
マルコ・ポーロの幼少期の詳細は不明
マルコ・ポーロの幼少期についてはっきりとは分かっていません。いろいろな説がありますが1254年説が有力。ヴェネツィア共和国で生まれたとされていますが詳細不明です。
マルコが生れた家は代々続く商家。父親は中東貿易で活躍していました。そこでマルコ・ポーロも小さいころから父親に連れられて旅に出るように。その後の活躍の土壌は父親が作ったことは間違いないでしょう。
父親は中東貿易で活躍する商人
父親の名前は父親ニコーロ。中東貿易を通じて莫大な財産を築いていました。ニコーロとマフェオという名の兄弟がいましたが、マルコが生れたころには貿易に従事。すでに家を出てコンスタンティノープルに住んでいました。
小さいころのマルコは父親と二人の兄と生活することはほとんどなし。さらにマルコの母親も早くに亡くなったことから、叔父と叔母に育てられました。家族ばらばらの家に育ったものの、マルコ・ポーロは叔父と叔母によってしっかりと教育を受けています。

将来は家業を継ぐことを想定してか、小さいころから商業について本格的に学んでいた。父親と行動を共にするようになったら、父親が商取引のノウハウをしっかり教授。貿易商人のエリートコースを歩んでいると言ってもいいな。
2.口述を記して生まれた東方見聞録
By Henry Yule – The Book of Ser Marco Polo. London, 1871, vol. I, p. cxxxv (https://archive.org/stream/bookofsermarcopo01polo#page/n145/mode/2up)., Public Domain, Link
東方見聞録はマルコ・ポーロが書いたと思われがちですが、あくまで口述。原本は現存していませんが、写本のさまざまなバージョンが出回りました。写本のあいだにも一定の違いがあります。
当時は100万のウソを書いているという認識も
写本のなかで有名なもののひとつがイル・ミリオーネ。マルコ・ポーロの姓がEmilioneであることから、それが変形してイル・ミリオーネとなったという説があります。
もうひとつの説がアジアで見た100万のことという意味。さらには100万のウソという説もあります。イル・ミリオーネは日本語にすると100万。マルコ・マルコポーロの口述は100万のウソばっかりというニュアンスです。
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