
その2「てっとうてつび」
「てっとうてつび」は最初から最後まで一貫している様子を表し、述語にかかる修飾語として用いられます。基本的な用法は「彼はてっとうてつび自説を曲げなかった」など。最初から最後まで一貫して同一の行動を継続するという意味になります。「あいつはてっとうてつび金の亡者だ」などはこれから進んだ用法で、どこから見ても完全にという、程度を誇張する意味で用いられていますよ。「あくまで」との違いは主体の主観的な継続の意志を暗示しないという点でしょう。
その3「どこまでも」
「どこまでも」は一定の状態が際限もなく続く様子を表し、述語にかかる修飾語として用いられますよ。具体的な距離についての用法は「その犬は私の後をどこまでもついてきた」など。「夏の空はどこまでも青い」などは具体的な距離についてと程度がはなはだしいことを誇張する様子の二通りにとれる表現です。また「君がどう思おうが、ぼくはどこまでも友達のつもりだよ」は人間の行為や心情について用いられた場合で、限界がないことを強調していますよ。さらに「君はどこまでも知らぬ存ぜぬで通ると思ってるのか」は常に一定の性質である様子を表しています。なお「あくまで」との違いは最後まで継続する主体の意志を強調し、常に一定の状態が際限もなく続く暗示はないという点でしょう。
「あくまで」の対義語は?
「あくまで」と反対の意味を持つ言葉をご紹介します。さっそく見ていきましょう。
その1「むやみ」
「むやみ」は結果を考えずに軽率に行動する様子を表す表現で、しばしば後ろに禁止や打消しの表現を伴います。表現としてはとても冷静で、特定の感情を暗示しません。また「むやみに」は「むげに」や「やみくもに」に似ていますが、「むげに」は十分な配慮をしないというニュアンスで用いられますよ。「やみくもに」は目標を見定めずに行動するというニュアンスで、自暴自棄の暗示があります。
その2「むやみやたら」
「むやみやたら」は結果を考えずに軽率に行動する様子を表し、「むやみやたらに」「むやみやたらと」の形で述語にかかる修飾語として用いられることが多いです。また「むやみやたらと」のほうが「むやみやたらに」よりもくだけた表現になりますよ。しばしば後ろに禁止や打消しの表現を伴うか、行為を反省する文脈で用いられます。「むやみやたら」は「むやみ」の結果を考えずに軽率に行動する様子を強調した意味ですが、表現としてはとても冷静で、特定の感情を暗示しません。
\次のページで「「insistently」」を解説!/