大正明治現代社会

「鈴木商店 大正」とは?グローバル総合商社のさきがけ?元大学教員が3分で解説

第一次世界大戦の特需が終了

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Edward N. Jackson (US Army Signal Corps) – U.S. Signal Corps photo, パブリック・ドメイン, リンクによる

第一次世界大戦が終わると、軍備拡張による特需にあった日本は瞬く間に戦後不況に陥ります。海外からの買い占めと売却により利益を得ていた鈴木商店の戦略は限界を迎えました。そこで、海軍拡張計画に乗じて八八艦隊を建造。会社の低迷から脱却させようと試みます。

そのようなとき、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアのあいだで締結されたのがワシントン海軍軍縮条約。各国の戦艦や航空母艦などの保有数が制限されることが決まります。その結果、八八艦隊の建造による挽回はかないませんでした。

関東大震災で震災手形を悪用

1923年9月1日に発生したのが関東大震災。たくさんの企業が被災によりダメージを受けました。企業を救済するために政府は震災手形割引損失補償令を公布することを決定。震災のまえに発行された手形のうち決済が不能になった損失を日本銀行が補填することになります。

それを利用したのが鈴木商店と台湾銀行。大量に震災手形を発行することにより損失を穴埋めしようとしました。政府も黙認したため震災手形の大部分が台湾銀行と鈴木商店のものとなる事態に。鈴木商店の震災手形をすべて合わせると、今の価値で438億3752万8千円となりました。

鈴木商店の破産が決定的になる

震災絵手形のやり方が問題視され、これ以上は無理だと考えた台湾銀行は、鈴木商店に対する追加規融資を打ち切ります。メインバンクの資金調達が得られなくなった鈴木商店の資金繰りは困難な状態に。ついに鈴木商店は破産するに至ります。

さらに、融資をしていた台湾銀行や第六十五銀行もあおりをうけて営業を停止することに。最終的に第六十五銀行は神戸岡崎銀行に営業を譲渡し清算されてしまいました。ちなみに神戸岡崎銀行とは、現在の三井住友銀行に該当する神戸銀行の前身だった銀行です。

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鈴木商店の破産を決定づけたのは関東大震災だったが、金子直吉のワンマン体制はすでに限界を超えていた。グローバルに事業を展開するのではれば、人材を育てて複数の経営体制を整備することが必須。鈴木商店は株式会社になっても「商店」のままだった。

現代社会にも生きている鈴木商店

鈴木商店が破綻したあとは、高畑誠一が中心となって日商を設立。現在の双日に該当する会社です。金子直吉も複数の事業を手掛けて再起を図るものの志半ばで亡くなりました。分社化された企業は大躍進。現在の神戸製鋼所、帝人、J-オイルミルズ、昭和シェル石油、サッポロビールは鈴木商店を源流とする大企業です。名前は消滅しましたが鈴木商店は現在の私たちの生活を支えていることは確かでしょう。

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