大正明治現代社会

「鈴木商店 大正」とは?グローバル総合商社のさきがけ?元大学教員が3分で解説

買い占めたものを連合国に強気で売る

第一次世界大戦がはじまったころ、戦争はすぐに終わり、物価が下がると考えられていました。いっぽう戦争は長引き物価が高騰すると予想した金子。砂糖や小麦を資金があるかぎり買い集めました。このとき、鈴木商店に巨額の融資を投じたのは、イギリス大手のイングランド銀行です。

金子の予想通り、第一次世界大戦は長期化し物価も高騰。買い占めたものを元手に、ヨーロッパ諸国を相手に強気の取引を展開します。列強国であっても遠慮せず、強気の姿勢を見せることが鈴木商店のやり方。その結果、鈴木商店は日本一でもっとも大きな総合商社となりました。

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鈴木商店は大量の外貨獲得に成功

鈴木商店は、ヨーロッパ諸国との取引を通じて大量の外貨を日本にもたらします。それにより、日本は開国してから初めて、外国から受け取る金額が支払う金額よりも多い純債権国に。実質、鈴木商店のビジネスの成功により日本は先進国のひとつになったと言えるでしょう。

鈴木商店の勢いがもっとも増したのが大正8年から大正9年にかけてのあいだ。このときの鈴木商店の売上げは16億円。当時の大手商社である三井物産や三菱商事を大幅に上回る金額です。あまりの大躍進に、スエズ運河を通過する貨物船の一割は鈴木商店のものだと言われるほどになります。

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鈴木商店の品物が多数輸出されていたことは、第一次世界大戦中に作られた塹壕の土嚢からも分かる。なんと、鈴木商店のロゴが入った大量の小麦の袋によるものだったそうだ。大正時代にそれほどの影響力をもった日本企業があったなんて、今では想像できないな。

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5.急成長により歪みが生じる鈴木商店

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published by 国書刊行会 – The Japanese book 『目でみる大正時代 下』, パブリック・ドメイン, リンクによる

一気に規模が拡大した鈴木商店ですが、会社の経営は「番頭」と呼ばれる金子のワンマン。細かいところに目が届かず、お金の管理がずさんになるなど事業にほころびが見え始めます。

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米騒動のときは暴動の対象となる

鈴木商店の成長は世界的に評価される一方、強引なやり方から反発が出るようになります。そんな世論に乗じて、新聞社が一斉にアンチ鈴木商店、アンチ金子のキャンペーンを展開。お米を買い占めしているというデマ記事を流します。

その結果、米騒動が起こったときに暴動の対象となったのが、買収により取得したミカドホテル新館である鈴木商店の本社。瞬く間にミカドホテルは焼き払われました。実はお米の買い占めをしている事実はなし。大阪朝日新聞が、米騒動をあおるために流したデマで、現在は風評被害だったともいわれています。

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銀行からの借入金も10億を超えることに

第一次世界大戦が終わったことで状況も変化。鈴木商店が力を入れていた工業製品の価格が一気に下落してしまいます。実は鈴木商店は非上場企業。銀行からの借り入れだけでやりくりしていました。そのため戦後の打撃を賄う資金が底をつき、借金は10億円を超える状態になります。

状況を打破するために鈴木商店を持ち株会社に移行させることを決意。会社名も株式会社鈴木商店に変更され、多岐にわたる事業を分社化しました。背景にあるのが融資をしていた台湾銀行の意向。不採算事業を整理するために分社化しましたが、金子が力を持ち続けたため釈略は失敗に終わりました。

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米騒動のときに金子直吉の首に10万円の賞金が掛けられたとも言われている。戦後の不況による人々の不安が金子に集中したのかもしれない。これまでの金子のやり方は確かに強引。多くの人の反発が蓄積したたことから風評被害に発展したのだろう。

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hikosuke