
「八紘一宇」の使い方・例文
「八紘一宇」の使い方を例文を使って見ていきましょう。
1. 八紘一宇を提唱した田中は、戦争を批判していた。
2. 八紘一宇の考えが、一定ユダヤ人救済の人道活動へ繋がったとの評価もある。
3. GHQは八紘一宇が国家神道や軍国主義と切り離すことができない過激な語として使用を禁じた。
基本的に日常生活で使われることはほとんどなく、歴史的・政治的文脈において語られる語です。ただし、例文やここまでに目を通せば分かるように、その内容や評価については未だに議論が続いています。時代とともにその意味が必ずしも一定でないことも伺えるでしょう。背後にある歴史的文脈などをしっかり踏まえた上で、注意を払って使用して下さい。

宮崎県には「八紘一宇の塔」と呼ばれる建造物(正式名称は八紘之基柱:現在では平和の塔とも)が存在する。これは、1940年の神武天皇即位紀元(皇紀)2600年の記念を祝うものでった。塔の正面には「八紘一宇」の文字が刻まれ、武人の荒御魂・商工人の和御魂・農耕人の幸御魂・漁人の奇御魂の四神像が四方に配置されている。一度は荒廃したが後に再興され、聖火リレーのスタート地点ともなった。興味があれば、訪れてみよう。
「八紘一宇」の類義語は?違いは?

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次に、「八紘一宇」の類義語について見ていきます。なお語源の欄で述べたような経緯から、「八紘為宇」はほぼ同義語であるためここでは触れません。
その1「東亜新秩序」
太平洋戦争期に唱えられた、日本を盟主とする東アジアの広域ブロック化の構想とそれに含まれる地域構想のことです。「八紘一宇」を始めに公式文書で使用した近衛内閣で唱えられたものであること、統一と平和を謳いながら実際は海外侵略の口実化していたことなど何かと共通点が多くあります。GHQにより、戦後の使用が禁止されたという点も共通です。もしくは、東亜新秩序の思想的根拠が「八紘一宇」だったといってもよいかもしれません。
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