「行尸走肉」の使い方・例文
「行尸走肉」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。
1.医療知識のないあなたは行尸走肉です。治療の邪魔になりますから引っ込んでいてください。
2.人として生まれてきた以上行尸走肉で終わらず、なにか偉大な仕事を成し遂げたい。
3.あいつは普段からご立派なことを言ってるが、しょせん行尸走肉だよ。
「行尸走肉」という言葉はまず使うことがないので「無能」とか「役立たず」と面と向かって誰かを非難しにくい時に使うと案外便利かもしれません。しかし言われた本人が意味がわからないのでちょっとした気晴らしにしかならないかもしれませんが。
日本の教育者・思想家の新渡戸稲造の著書『自警録』にも「行尸走肉」という言葉が出てきます。新渡戸稲造は『武士道』という著書が人気ですが『自警録』も隠れた名著と言われているものです。心の持ち方や人生訓を書いたものですが、その内容は今日でも十分通用するでしょう。この著書の中に「人もどれほど『王佐棟梁(おうさとうりょう』の才であっても、これを利用もせず懶惰(らんだ)に日を送れば、小技小能(しょうぎしょうのう)なるいわゆる『斗筲(とそう)の人』で正直に努める者に比して、一人前と称しがたく、ただ大なる『行尸走肉』たるに過ぎぬ」という一文があります。これは、たとえ帝王の仕事を助けるほどの能力があってもそれを使うことなく日々を無駄に過ごすようなら、才能がない正直者より無能だという意味です。
その1「昼行灯」
「行尸走肉」の類義語として「昼行灯(ひるあんどん)」が挙げられます。「行灯」とは江戸時代に普及した照明器具で、ろうそくや油脂を光源としたものです。行灯を昼間にともしてもぼんやりして明るくありませんね。昼行灯のように役に立たない人をあざけってそう呼ぶようになりました。ですから「昼行灯」というのは褒め言葉ではないのです。
しかし無能を装っていざという時に有能な働きをする人間のことを指すと勘違いしている方もいます。これは時代劇『忠臣蔵』の影響でしょう。主君浅野内匠頭の仇討ちもしないで遊郭で遊びほうける家老の大石内蔵助は昼行灯と揶揄されていました。しかし時節到来を待って一転決起し敵である吉良上野介を討ち取ったストーリーから「能ある鷹は爪を隠す」と同じ意味だと思っている方がいます。このような間違いをしないよう気をつけてください。
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