平安時代日本史

3分で簡単「平等院鳳凰堂」平安時代の末法思想を反映させた歴史的建築物について元大学教員が5分でわかりやすく解説

5.平等院鳳凰堂の名前と姿が意味するもの

平等院鳳凰堂と聞くと、荘厳な名前を持った美しい姿をした寺院であることを知っている人は多いでしょう。しかし、その意味と歴史を知っている人は少ないと思います。むかし、言葉は言霊(ことだま)と言われ、言葉そのものに魂があると思われていました。「平等」「鳳凰」という言葉には深い仏教的な意味が含まれています。

中国の神話に登場するのが「鳳凰」

平等というのはもともと仏教用語のひとつ。「仏の救いはすべての人に同じ」という意味がありました。また「最期の救いは皆に同じように約束される」という意味でもあります。仏の平等をあらわすのは光。つまり平等院は光のお寺ということ。「生きて行くために与えられた機会の平等」という意味が込められました。

鳳凰とは中国の神話に由来する伝説の鳥のこと。全体はクジャクに似ていて、頭はニワトリ、あごはツバメ、首はへビ、背はカメ、尾は魚のようなかたちです。色は黒、白、赤、青、黄の5色。聖天子(優れた皇帝)が現われたときだけ姿を見せる鳥とされました。36種類の羽をもっており、鳳凰が飛ぶと雷も嵐も静まり、河川もあふれず、草木もゆれないと言われています。

変わりゆく平等院鳳凰堂のかたち

鳳凰堂の屋根の中央に立っているのが鳳凰。後世に鳳凰堂と呼ばれるようになったのも、建物全体が鳳凰が羽を広げた形のようだと思われたからとも言われます。細く優美な柱、美しい屋根の曲線などのすべてが藤原貴族の趣味。両側の壁には供養仏が舞っており、まさに極楽浄土を思わせるつくりです。

当初の平等院は現在よりもずっと大きく、東は宇治川まであったと推測。軒先、柱、扉、高欄などはすべて赤く塗られ、壁は白く、ところどころが金色というデザインでした。しかし、幾多の戦乱により鳳凰堂以外はすべて消滅。庭は今より広大な浄土式庭園で、境内に築山、泉水が作られていました。造園技術を集結させた最高の例が平等院の庭といわれるほどのすばらしさです。

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今まであまり深く考えずに見物していた平等院や平等院鳳凰堂。その苦難の歴史の一端を知ると感慨深い。貴族のため息や庶民の涙が、1000年後を生きる俺たちの胸にしみじみと伝わるな。春の桜や晩春の不治の花などをもう一度ゆっくりと鑑賞してみたくなった。

平等院鳳凰堂は世の中の不安を反映させた寺院

平等院鳳凰堂は京都の観光スポットのひとつ。美しい建物や庭にうっとりした経験がある人も多いでしょう。しかし、この寺院が作られたのは世の中が不安定で不安が渦巻いていたから。そこに想像上の極楽浄土を作ることしか救いの道がなかったのです。そういう意味では、平等院鳳凰堂を通じて平安時代末期の雰囲気や人々の心が分かるというのも事実。日本史や日本文化史を学ぶときに、建物が作られた背景を学ぶことで、当時の人々の心をリアルに感じ取れるかもしれません。

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