平安時代日本史

5分でわかる「平等院鳳凰堂」平安時代の末法思想を反映させた歴史的建築物について元大学教員が5分で解説

よぉ、桜木建二だ。平等院鳳凰堂は教科書で写真をよく見かけることから、京都に行ったら必ず拝観したい人気の場所。デザインがとても美しく、その優美な姿は1万円札で見ることもできる。数々の京都の有名スポットであるにもかかわらず、実はどんな施設なのか知らない人も多いだろう。

そこで平等院鳳凰堂とはどんな場所なのか、建造される経緯や背景と共に日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/ひこすけ

アメリカの歴史や文化を専門とする元大学教員。平安時代にも興味があり気になることがあると調べている。京都の旅先で出会った平等院鳳凰堂の美しさの感動は今でも鮮明に覚えている。そこで関連する歴史を調べてみた。

1.平等院鳳凰堂とはどんな寺院?

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Sergeisemenov投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

平等院にはいろいろな建物がありますが、なかでも有名なのが鳳凰堂。10円硬貨や1万円札のデザイン図にも使われています。鳳凰堂と呼ばれるようになったのは後世のこと。それまでは平等院阿弥陀堂と呼ばれていました。1680年に発見された金銅版に「鳳凰堂」と記されていたことから、江戸時代初期に鳳凰堂の名が生れたと思われます。鳳凰堂は1994年にユネスコ世界遺産に登録。「京都文化財」のひとつにもなっています。

平等院鳳凰堂のルーツは源融の別荘

宇治は平安上流貴族の別荘地。超セレブが楽しむ郊外でした。平等院のあたりには、光源氏のモデルとも噂されている源融(みなもとのとおる)の別荘がありました。その持ち主は陽成天皇、宇多天皇、朱雀天皇、藤原道長と替わってゆきます。道長の所有になったときには「宇治殿」と呼ばれ、死後は息子頼通が所有しました。

頼通は宇治殿を寺院に改めることを決意。1052年に平等院としました。作り替えるといっても、平安時代は貴族の邸宅そのものが寺院の作り。自分の邸宅をそのまま寺院にすることは珍しくありませんでした。平等院が完成した翌年に阿弥陀堂を建立。阿弥陀如来が本尊で、安置されている阿弥陀如来坐像は国宝に指定されています。

鳳凰堂が創建された時代

釈迦が入滅してから2000年後に仏の教えが忘れられ、仏法が廃れてしまうという末法思想が流行。平等院が創建されたのは、まさにその2000年目でした。平安時代も末期に入るころ、世のなかは貧困と治安の乱れ、たびたびの疫病で騒然としていました。貴族たちは恐れおののき、現世の救済ではなく死後の救済を願うようになるのです。

末法思想はしだいに仏教とは関係なく、世の終末に入ったという終末思想に変化。頼通は父の築いた栄華が翳り始めていることを感じます。この不安から逃れるために、別荘を寺院に替えて現生の極楽浄土を作ろうと決意。鳳凰堂と呼ばれる阿弥陀堂はこの世の極楽浄土だったのです。

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頼通が没したのはまさにこの阿弥陀堂。平等院は平安末期まで藤原ゆかりの寺だった。そのため今でも藤の樹がたくさん植えられていまる。

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