平安時代日本史

激動の時代を生きた鴨長明の無常の文学「方丈記」を元大学教員が5分で解説

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方丈記という題名は「方丈の庵で書いたものです」と言う意味をこめて、作者が自分でつけたもの。鴨長明の暮らしは必要最低限のものだけ。今でいうミニマムライフと呼ばれるものだ。また、1人キャンプを先駆けで実践した人物と言ってもいいだろう。

2.鴨長明はどのような人生を歩んだ?

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Yanajin33投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

鴨長明は名門神社の神官の子供という恵まれた生まれ。しかしながら、両親を亡くして孤児状態となって出世の道を妨げられました。挫折を重ねて出家しますが、源実朝に鎌倉まで面会に行き、自分を和歌の師匠に売り込むことも。そのため、完全に世を捨てているわけではありません。自分の売込みにも失敗、山の庵で執筆一筋に生きることを決意しました。

不遇な人生を歩んだ鴨長明

1155年に下鴨神社の神官の二男として生まれた長明。鴨神社は朝廷に関係している特別な神社であり、とても恵まれた環境でした。母を早くに亡くし、18歳のときに父とも死別します。当時は父親がいないことは出世競争では致命的。後ろ盾がないと親の地位を無事に引き継ぐことができなかったのです。神官になる争いで親族に敗れて、30歳で 妻子とも別れました。

長明はそれからずっと独身。琵琶と和歌が生きがいとなりました。かなりの腕前で皇族主催の歌会に参加したり、千載和歌集に一首採用されたりと才能を発揮します。47 歳で後鳥羽院に才能を認められ、宮中の和歌どころの寄人(よりうど・専門職人)に抜擢。後鳥羽院の厚意で神官に推薦されるものの親族に妨害されてしまいます。世のなかに嫌気がさした長明は出家してしまいました。

人生の後半は無常観ともに生きる

そんな長明の心に残ったのは挫折感と無常観。自分がなすべきことは書くことだけだと、あきらめの境地に達しました。出世に対する思いをスパっと断ち切った長明。次に、これまでに目の前で起こった数多くのの災害、荒れ果てた都、末法思想と無常観の広まり、明日を生きる術もない庶民たちの姿を書くことを決意します。

自分の心に浮かぶこと、自分の目の前で起こっていることを書き続けた末に、長明は「結局この世には心休まる所などどこにもないのだ」という人生観に達するようになりました。

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鴨長明は、運に恵まれないところもあるが、かなり偏屈な性格でもあったようだ。方丈記にただようのは陰鬱とした暗さ。しかしながら実際の長明は、世間に評価されたいと願う野心家でもあった。ちなみにこのころは、世を捨てて山里に引き籠った人が多かったとのこと。コロナ禍の今の状況と似ている気がする。

3.方丈記にはどんな特徴がある?

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鴨長明が生きた時代には、戦乱の殺伐さや無常さと反比例するように、歌道がとても盛んになりました。歌の家が成立し、和歌の世界では競争が激しくなります。源俊恵に教えを受け、藤原定家のグループからも大きな影響を受けた長明。そして、いつしか和歌の世界から離れて、現代の1人キャンプのような生活を続けるなかで、独得な文体の随筆を書きあげました。

重い雰囲気がただよう随筆

方丈記はとても短い随筆。構成は7段にわけられ、それぞれがテーマ化されています。第一段に書かれているのは「無常とは何か」ということ。第二段では「五つの大きな災害の様子」についてが詳細に書かれています。第三段に書かれているのは「自然や環境と人間のかかわりかた」。そして第四段では「自分が出家して引きこもり生活に入った理由」が書かれました。

そして第五段は「小さな庵である方丈庵の間取り」について。第六段では長明の方丈庵での暮らしについて記されました。最後を締める第七段では人生についての長明の考えが記されました。これらを貫くのは暗い雰囲気。方丈記は「陰キャの随筆学」「ネクラな随筆学」であると言ってもいいでしょう。

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hikosuke