この記事では「無為」について解説する。

端的に言えば「無為」の意味は「自然のままにゆだねる」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

今回は哲学書好きライターTakk1976を呼んです。一緒に「無為」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/Takk1976

学生時代から読書の虫。特に東洋、西洋の哲学書に親しみ、日々新しい言葉に出会うことが喜び。田舎に住み、米作りに励みながら晴耕雨読の日々を暮らす異色のライターが「無為」について解説していく。

「無為」の意味や語源・使い方まとめ

image by PIXTA / 62204207

それでは早速「無為」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「無為」の意味は?

「無為」は多くの場合「むい」と読みます。ごくたまに「ぶい」という読み方もありますが、あまり見かけない読み方です。

それでは、「無為」の意味を見ていきます。

1.自然のままで、作為的でないこと。
2.(仏教用語として)消滅・変化しないもの。自然、絶対。
3.ぶらぶらと何もしないでいること

出典:国語辞典(岩波書店)

まず1の意味ですが、これは人間の行為や態度が自然のままにゆだねられているという意味です。つまり、ああしたい、こうしたいと意図したり計画せず、その場の流れにまかせている状態を指します。

次に2ですが、これは仏教用語で、若干難しいかも知れませんので少し説明しましょう。仏教では人間という存在はあれこれ欲や感情で生きていて、やがては死んでしまう諸行無常、つまり永続しない存在です。それとは逆にどこから生まれてくるわけでもなく、また消えていくわけでもない、例えば天体の運行や季節の移り変わりなど、ただそれ自身で永続している理法。仏教ではそれを「無為」と呼び、真理と考えます。

最後に、3の意味は特にあてもなく何もしないで、時間を無駄に過ごす時に少し否定的な意味で使わることが多いです。「無為に過ごす」などのように使われます。

「無為」の語源は?

次に「無為」の語源を確認しておきましょう。「無為」という言葉は古くから使われていますが、今から2500年以上前に中国にいた道教の始祖とも言われる老子が自分の思想を説明するのに好んで使用したことで知られています。

老子は「無為自然」が人として最良のあり方だと説いたのですが、それはどういうことかというと、知識や情報、意図といったものにとらわれず、その人が持つあるがままの心で生きることが最も良い、と考えたのです。

少し極端な例ですが、人間は赤ん坊の時はまっさらな心で生活していますね。まさに「無為」の状態ですが、人間は成長するにつれていろいろなことを覚えていくと、悩みや問題も増えて生きにくくなっていくと老子は考えたのです。老子の「無為」の思想はその後の道家たちにも大きな影響を与えました。

\次のページで「「無為」の使い方・例文」を解説!/

「無為」の使い方・例文

「無為」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。

1.ボクシング人生のすべてをかけたライバルとのタイトルマッチにチャンピオンは無為の境地で臨んだ。
2.輪廻から脱することは涅槃、すなわち無為である。
3.こんなに天気の良い日だったのに結局どこにも行かず無為な時間を過ごしてしまった。

1の例文のように、スポーツ選手などが大勝負に望む際、心に一点の淀みもない状態を表すのに「無為の境地」という言い方がされることがあります。すべて準備できることはして、あとは邪念を払って体が動くにまかせると言った心境でしょう。

2は完全に仏教用語としての「無為」です。仏教では悟りを得て、輪廻の渦から脱することを涅槃と呼びますが、「無為」はそれと同じ意味で使われることがあります。

3での「無為」は「だらだら何もしない」という意味です。また、これに似た「無為」の使い方を含む四字熟語に「無為無策」という言葉がありますが、これは何かの問題に直面した時に、計画や対策がなく、何もしない、もしくはできないという意味になります。一緒に覚えておきましょう。

「無為」の類義語は?

image by PIXTA / 44711560

「あるがまま」、「自然のままにゆだねる」という意味がある「無為」にはどんな類義語があるでしょうか?

その1「自然体」

道教や仏教でも使われる「無為」という言葉を極めて日常的な言い方に替えると「自然体」でしょう。試合に臨むスポーツ選手の「無為の境地」について例文で取り上げましたが、スポーツだけでなく例えば受験生が試験に臨む前に「自然体で行きなよ」と声をかけたりしますよね。私たちは自分の能力や素質に自信があれば、あれこれ考えない方が良い結果に結びつくと考えているのです。その意味では2500年前の老子の思想が今の私たちにも活かされているのかもしれませんね。

\次のページで「その2「空っぽ」」を解説!/

その2「空っぽ」

「無為」の境地は意図や作為を捨てることでした。つまり、雑念が取り払われて頭の中や心が澄んでいて良い意味で空っぽな状態です。心がとても静かな状態を表す「安らか」や「穏やか」なども類義語と言って良いかもしれませんが、「無為」と言う言葉が持つ「無」の意味合いを考慮すると「空っぽ」と言う表現が類義語としてしっくりきます。ただし、「頭が空っぽ」などと言う表現は文脈によってニュアンスが変わりますので、使う時には多少注意が必要です。

「無為」の対義語は?

では、「無為」の対義語は何でしょうか?

「無為」の対義語は「意図的」

「無為」は自然にまかせて行動すると言う意味ですから、「意図的」は対義語としてふさわしいと言えるでしょう。「作為的」もほぼ同じ意味になりますが、その他にも似たような言葉として「恣意的」などが対義語として挙げられるでしょう。

「無為」は英語でどう言う?

image by PIXTA / 27127200

道教を語源に持つ「無為」ですが、英語ではどう表現できるでしょうか?

「無為」は英語で「let it be」

「let it be」という言葉を聞いたことがありますか?そう、あのビートルズの名曲のタイトルです。このあまりにも有名な曲は日本語で「あるがまま」というタイトルに訳されています。「 be」は「〜である」ですから、「let it be」で「そのままにしなさい、あるがままにしておきなさい」という意味になるので、「無為」が持つ「作為を捨てる」「自然にまかせる」と言う意味に非常に近いのです。

ちなみに、「Let it be」の冒頭の歌詞を簡単に訳すと、この曲を作ったポール・マッカートニーが人生に思い悩んでいた時に、死んだお母さんのメアリーが現れて、ポールに「あるがままに」、つまり「無為」でいなさいと語りかけてきた。となります。

人生の悩みや苦しみから救う言葉として語られる「let it be」は、もちろん道教や仏教とは関係がありませんが、「無為」と共通部分が多いように感じられませんか?

\次のページで「「無為」を使いこなそう」を解説!/

「無為」を使いこなそう

この記事では「無為」の意味・使い方・類語などを説明しました。道教や仏教などに由来する言葉は「無為」に限らず日本語の中には数多く存在します。何となく難しいことを言っている様に感じますが、言葉の由来や背景を知り、同時に類義語や対義語などを学んでいくことで意味が理解できていくはずです。古い言葉なのに、失われることなくいまだに使われているということは、その言葉でしか表現できないからでもあります。「無為」の様な古くから伝わる言葉と大切にしていきたいですね。

" /> 「無為」の意味や使い方は?例文や類語を哲学書好きライターがわかりやすく解説! – Study-Z
国語言葉の意味

「無為」の意味や使い方は?例文や類語を哲学書好きライターがわかりやすく解説!

この記事では「無為」について解説する。

端的に言えば「無為」の意味は「自然のままにゆだねる」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

今回は哲学書好きライターTakk1976を呼んです。一緒に「無為」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/Takk1976

学生時代から読書の虫。特に東洋、西洋の哲学書に親しみ、日々新しい言葉に出会うことが喜び。田舎に住み、米作りに励みながら晴耕雨読の日々を暮らす異色のライターが「無為」について解説していく。

「無為」の意味や語源・使い方まとめ

image by PIXTA / 62204207

それでは早速「無為」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「無為」の意味は?

「無為」は多くの場合「むい」と読みます。ごくたまに「ぶい」という読み方もありますが、あまり見かけない読み方です。

それでは、「無為」の意味を見ていきます。

1.自然のままで、作為的でないこと。
2.(仏教用語として)消滅・変化しないもの。自然、絶対。
3.ぶらぶらと何もしないでいること

出典:国語辞典(岩波書店)

まず1の意味ですが、これは人間の行為や態度が自然のままにゆだねられているという意味です。つまり、ああしたい、こうしたいと意図したり計画せず、その場の流れにまかせている状態を指します。

次に2ですが、これは仏教用語で、若干難しいかも知れませんので少し説明しましょう。仏教では人間という存在はあれこれ欲や感情で生きていて、やがては死んでしまう諸行無常、つまり永続しない存在です。それとは逆にどこから生まれてくるわけでもなく、また消えていくわけでもない、例えば天体の運行や季節の移り変わりなど、ただそれ自身で永続している理法。仏教ではそれを「無為」と呼び、真理と考えます。

最後に、3の意味は特にあてもなく何もしないで、時間を無駄に過ごす時に少し否定的な意味で使わることが多いです。「無為に過ごす」などのように使われます。

「無為」の語源は?

次に「無為」の語源を確認しておきましょう。「無為」という言葉は古くから使われていますが、今から2500年以上前に中国にいた道教の始祖とも言われる老子が自分の思想を説明するのに好んで使用したことで知られています。

老子は「無為自然」が人として最良のあり方だと説いたのですが、それはどういうことかというと、知識や情報、意図といったものにとらわれず、その人が持つあるがままの心で生きることが最も良い、と考えたのです。

少し極端な例ですが、人間は赤ん坊の時はまっさらな心で生活していますね。まさに「無為」の状態ですが、人間は成長するにつれていろいろなことを覚えていくと、悩みや問題も増えて生きにくくなっていくと老子は考えたのです。老子の「無為」の思想はその後の道家たちにも大きな影響を与えました。

\次のページで「「無為」の使い方・例文」を解説!/

次のページを読む
1 2 3 4
Share: