日本史

平安時代の恋愛事情が分かる「和泉式部日記」とその作者について元大学教員が5分で解説

よぉ、桜木建二だ。和泉式部日記とは、平安時代の半ばごろに和泉式部と呼ばれた女性歌人によって書かれた日記。歌物語風そして恋物語風であることが特徴だ。ここに含まれている和泉式部が詠んだ和歌はなんと150首以上。これらの和歌を中心に当時の男女の恋愛模様が生き生きと記されている。

それじゃあ、和泉式部日記に記された平安貴族の恋愛模様について、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

hikosuke

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史や文学を専門とする元大学教員。日本の古典にも興味があり、気になったことを調べている。和泉式部日記は、今も昔も変わらない男女の恋愛事情を記した日記。今の時代でも面白く読めるため、ときおり愛読している。

1.和泉式部日記とは

image by PIXTA / 2030167

平安時代中期、和泉式部と呼ばれた女性歌人によって書かれた歌物語風の日記で、和泉式部が詠んだ和歌150首以上を中心とした作品です。「和泉式部物語」と呼ばれることも。実は彼女の本名も生没年も不明。ちなみに、当時は天皇の后クラスの女性以外、名や年齢が記録されることはありませんでした。あの紫式部も本名や生まれた年はわかっていません。

和泉式部日記が書かれた時代

和泉式部日記は、平安中期といわれる長徳元年(995)年から長保2年(1000)ごろ書かれました。疫病が流行り、たくさんの高位の貴族たちが命を落とし、鴨川は疫病で死んだ庶民の屍の捨て場になっていた時代。世の中には、仏法が廃れて終末を迎えるという思想が広がり、人々はひたすら加持祈祷にすがっていました。

そんな暗い時代に和泉式部は歌詠みとして名をあげます。当時の権勢家である藤原一族は陰湿な政権闘争をくり広げ、清少納言が仕える藤原道隆家は敗者となり没落。道隆の弟である道長が勝者となり、天下を手に入れました。和泉式部の歌が深い暗さと悲愁を秘めているのは、こんな時代の不安が映し出されているからでしょう。

和泉式部日記の性格

和泉式部日記で官能的に描かれているのは王朝人の恋模様。和泉式部自身も夫がいる身で多くの恋をしました。現代のように不倫が厳しくとがめられる時代ではありませんが、夫がいる女性の恋はご法度でした。しかもそのお相手が天皇の息子である二人の親王。平安時代であってもこの出来事は世間を騒然とさせたことが多くの資料からわかります。

兄宮と交わした歌は残っていません。しかし、弟宮との恋から数々の歌が生れました。情熱のラブソングは今日に通じる自由奔放なもの。しかし、そんな歌の底には、仏教思想と無常観、さらには深い心の闇が流れています。夫のいる身で親王と不倫関係にあったことを歌に詠むことは世間のはげしいバッシングを受けること。それを覚悟で世に発表したのです。

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