世界史

5分でわかる「東ローマ帝国」1000年に及んだ帝国?キリスト教とイスラム教の間にあった?を歴史オタクがわかりやすく解説

よぉ、桜木健二だ。ローマ帝国はヨーロッパ世界を支配した強力な帝国だったな。そのローマ帝国がふたつに分割した東の方を「東ローマ帝国」といったんだ。小アジアのコンスタンティノープルを首都に置き、後半ではイスラム教とも多く戦っている。今回は歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒にそんな「東ローマ帝国」についてわかりやすく解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。歴史のなかでも特に古代の国家や文明に大きな関心を持つ。今回はふたつに別れたローマ帝国の片方「東ローマ帝国」についてまとめた。

1.東ローマ帝国と西ローマ帝国の誕生

image by PIXTA / 57693977

永遠の分割

広大な領地を有したローマ帝国。あまりに広すぎたため、外敵の侵入や内乱に備えるため、284年にディオクレティアヌス帝がローマ帝国を東西に分割した上で、四人の皇帝で治める「四分統治(テトラルキア)」などが行われたりもしました。けれど、その後、コンスタンティヌス1世によって再統一され、またひとつのローマ帝国として、一人の皇帝によっておさめられる時代が戻ります。

しかし、またもやローマ帝国が分割される日がやってきたのです。それは395年、テオドシウス1世がローマを再び東西に分割し、ふたりの息子をそれぞれの皇帝にしたからでした。

小アジアのコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を首都とする東ローマ帝国を長男のアルカディウスが。イタリア半島のミラノを首都とする西ローマ帝国を次男のホノリウスが治めることになったのです。

ローマの人々にとっては二度目のことでしたが、これがローマ帝国にとって永遠の分割となってしまうのでした。

西ローマ帝国の滅亡

東ローマ帝国が地中海や小アジアを中心にする一方で、西ローマ帝国はイタリア半島とその周辺を領土としていました。しかし、4世紀に始まったゲルマン人の大移動によって西ローマ帝国は窮地に立たされます。

たびたびの略奪によって自国の防衛すらゲルマン人の傭兵に頼らなくてはならない状況に。そうして、476年、ゲルマン人傭兵隊長オドアケルがクーデターを起こして皇帝をローマから追放、これによって西ローマ帝国は滅亡したのでした。

「東ローマ帝国」という国名はない

東西に分かれたローマ帝国でしたが、それぞれの皇帝は自分たちの国に「東」や「西」と頭につけませんでした。なぜなら、両国とも我こそが正統な「ローマ皇帝」で、自分の国こそが正統な「ローマ帝国」だとしていたからです。

「東」や「西」と呼ぶのは、世界史の便宜上、ふたつの国がそのまま「ローマ帝国」だったらややこしすぎるからなんですね。

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再び東西に分かれることになったローマ帝国。今回は「東ローマ帝国」のほうをクローズアップしていくわけだが、残念なことに「西ローマ帝国」のほうは割と早くに滅亡してしまうんだな。

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