その2「諦観」
「諦観」は「対象をはっきり明確に観ずること。本質を明らかに見極めること。ていかん。」という意味を持ちます。「諦」は「あきらか。つまびらか。」という意味を持つ漢字です。本質を見極める、という点では「達観」と類似していると言うことができるでしょう。
「達観」と「諦観」で異なる点は、「達観」は「広く物事を見わたす」という意味を持つものの「諦観」にはそれがないという点です。また、「達観」は「細部にこだわらない」「喜怒哀楽を超越する」という意味があるのに対し、「諦観」はそれがありません。
「達観」の対義語は?
ここでは、「達観」の対義語について見ていきましょう。
「達観」とは、「全体の情勢を広く見わたすこと。細部にとらわれないで、物事の真理を見とおすこと。」という意味を持ちます。そのため、その反対の言葉は「視野が狭い」また「物事の些細なことにこだわる」という意味を持つ言葉が適切でしょう。
その1「拘泥」
「拘泥」は「こうでい」と読みます。意味は「あることを必要以上に気にしてそれにとらわれること。こだわること。」です。「達観」が「細かいことにはとらわれない」という意味であるのに対する反対語と言うことができるでしょう。
「拘泥」はどちらも「こだわる」という意味を持つ漢字で成り立っています。「拘泥」はどうしてもある物事が気になってしまうというニュアンスを持っていることが分かりますね。
その2「偏狭」
「偏狭」は「自分だけの狭い考えにとらわれること。度量の小さいこと。また、そのさま。狭量。」という意味です。「達観」が「細部にこだわらない」という意味を持つのに比べて対義的であると言えるでしょう。
その1「philosophy」
「philosophy」は「哲学」を第一義に持つ言葉です。「経験などで得た人生哲学」「悟り」そしてもちろん「達観」という意味をも持っています。
「達観」の英訳として用いるには最適な単語であると言えるでしょう。
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