「達観」の使い方・例文
「達観」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。
1.彼は同年代の生徒の中でも、達観した考えを持っている。
2.社会の情勢を達観視した上で会社を運営する社長は、社員全員の尊敬を集めている。
3.彼女の、人生を達観したような態度にはついていけない。
4.達観の境地に至った母は、安らかな毎日を送るようになった。
「達観」は単なる「達観する」という形以外にも「達観視する」「人生を達観する」「達観の境地」というような言い回しで使うことができます。
「達観視する」は、「達観した視点を持つ」という意味です。「達観」の意味としては辞書の一つ目の意味が使われます。熟語の構成としては「危険視」や「疑問視」と同様です。
「人生を達観する」は、「人生を悟る」と言い換えることができ、何事にも動じない姿勢を表しています。「達観の境地」は「細部にとらわれないで、物事の真理を見とおすこと。」という「達観」の考えに行きついたことを示していますね。
「達観」の類義語は?違いは?
ここでは、「達観」の類義語について見ていきましょう。それぞれの類義語と「達観」がどのような点で異なるかについても紹介していきます。
その1「俯瞰」
「俯瞰」の読み方は「ふかん」です。「高い所から広い範囲を見おろしながめること。鳥瞰。」という意味を持ちます。「広く物事を見わたす」という点で「達観」と類似していると言うことができるでしょう。
「達観」と「俯瞰」で異なる点は、「達観」は広く物事を見渡した上で悟りを開くという意味も含まれているのに対し、「俯瞰」にはそれがないという点です。
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