新元号が令和となることが発表されたとき、その出典ということで万葉集に興味を持った人も多いでしょう。有名な和歌が数多くおさめられているため、「これ、万葉集の和歌だったの」と驚くことも多いでしょう。

それじゃあ、万葉集がどのような歴史を経て成立したのか、どのような作品がおさめられているのか、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史や文化を専門とする元大学教員。日本の古典にも興味があり、いろいろ調べている。万葉集は、教科書に必ず登場するものの、実際はどのような歌集なのか意外とよく知らない。そこで、万葉集の作品や、それが詠まれた背景について調べてみた。

1.万葉集とはどんな歌集?

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万葉集は現存する日本最古の歌集です。はっきり分かっているのはそれだけ。いつごろ、誰の手で成立したかは不明です。そのため、万葉集に関する情報のほとんどが「一説」。そこで、濃厚な説を集めながら全体像を見渡していきます。

1-1大伴家持が編纂したという説が濃厚

万葉集のベースとなっているのが、平城京が置かれた奈良時代初期のころから蒐集された歌。大伴家持が何らかのかたちで手を加え、編纂されたものと言われています。そこから、万葉集が成立したのは奈良時代の末から平安時代の初期のあいだと推測。最終的に4500首ほどの歌が集められました。

1-2万葉集の書名の由来はおもに3つ

万葉集という書名の由来には3つの説があります。ひとつは、万葉集の「葉」が「言の葉」を現しているというもの。「言の葉」とは「歌」のこと。多くの歌を集めたという意味になります。

ふたつめの説は「葉」が「世の中」を意味するというもの。千年も万年も伝わるべき「集」という意味です。3つ目の説は「葉」が「木の葉」を意味するというもの。「歌」を「木の葉」にた例えた書名という説です。

2.万葉集はどのようにして出来上がった?

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万葉集が成立する過程の詳細は不明。はっきりと断定できることはほとんどありません。ある程度分かっているのが、中国の文化の伝播がきっかけとなったということ。古代の人々のなかで、歌をよむ、それを言語化する、歌集として編纂する意欲がかきたてられました。

2-1万葉集が成立した時代背景

万葉集のはじまりは舒明天皇が629年に即位したころ。130年ほどかけてさまざまなジャンルの歌が採取され、孝謙女帝のころに形ができあがったと言われています。

奈良時代はちょうど古代国家の形が整ってきた時代。それより前の古墳時代のころから、漢字が少しずつ伝わってきていました。遣唐使を通じて大量に中国の詩集などが渡来。文字をもたなかった日本人たちが、漢字で自分たちの歌や詩を表記したくなり、歌集編纂に繋がったと言われています。

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2-2万葉集を「和歌集」と呼ばない理由

万葉集には多くの歌がおさめられていますが、和歌集と呼ばれません。万葉集の書名は成立したころから「万葉集」。佐々木信綱氏によると「万葉和歌集」と呼ぶのは間違いということです。

その理由となるのが、万葉集には庶民による歌が含まれていること。平安時代以降の、天皇が号令をかけて編纂した勅撰歌集は和歌集と呼ばれていました。つまり、万葉集は歌い手の身分が多種多様であるから、和歌集と呼ぶことができないのです。

3.万葉集におさめられた歌

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万葉集はすべて漢字で書かれています。たとえば「ひ」は日、比、非など。「恋」は古非、古比など表記はさまざま。日本人が工夫をほどこしながら異国の文字で日本語を書いたことが分かります。

3-1万葉集の歌の内容は多種多様

万葉集の内容はとても幅広いことが特徴。古事記や日本書紀に書かれている古代の歌謡に由来した歌、東国地域の人々の間で歌われていた東歌、九州海浜の守備に徴兵された兵士の防人歌などが含まれています。

さらには、宴会で謳われた歌、恋愛を詠んだ相聞歌、家族愛、別離、旅、労働、農民歌など、貴族や庶民の生活を垣間見れる歌も。そのテーマは無限に広がると言っていいでしょう。

3-2身近なことを素材とする

万葉集の特徴は身近なことをテーマとしている点。自然の美しさ、歓び、悲しみ、怒り、絶望など人間の感情をうたいました。さらに、食べもの、衣服、宮廷での暮らし、人事なども取り上げられています。

天皇という最高権力者から、農民、漁民、漁師、大工まで、あらゆる階層の人が歌い手。このようないろいろな立場の人々の暮らしや感情が率直にうたわれました。

古代でもたびたび戦があり、男たちは戦地に召集されていました。万葉集には、残された妻の悲しみをうたっている歌があります。

防人に行くは誰が背と問ふ人を見るがともしさもの思もせず(防人の妻の歌)

この歌は「防人に行くのは誰の夫なの」と問う人が羨ましい、なぜなら他人事だからというもの。夫を辺境の地に連れて行かれ悲しみにくれている女性の悲しみがうたわれています。  

4.万葉集は古代の人々の心も映す

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Ceridwen - 投稿者自身による作品, CC BY-SA 2.0 fr, リンクによる

古代の人々の心の内を具体的に知ることができる機会はほとんどありません。そのようななか、万葉集はさまざまな立場の人々の心の機微をうたっている点で、とても貴重な資料でもあります。

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4-1万葉集はカラオケの一種?

現在の日本の流行歌の多くは人間の心の動きをうたっています。万葉集もそれと同じ。古来の人々の間で歌い継がれてきた伝承歌謡がベースにあります。この伝承歌謡が徐々に「57577」の和歌の形になっていきました。

文字のなかった時代、日本人は歌うことで感情をあらわしていました。そのような伝承歌謡をベースとする万葉集を、今のカラオケのように、歌ったり聞いたりしながらみんなで楽しむためのツールと考えることもできます。

4-2感情が豊かにうたわれているのも特徴

万葉集でうたわれているのは、今も昔も変わらない人間の感情。きれい、悲しい、好き、働くのは辛い、寂しい、おいしいなど、私たちが抱くのと同じような感情が題材となりました。

万葉集の歌がうたわれた時代は今とは全く異なる時代。それでも、変わらない人間の感情があったことが分かります。このような万葉集の普遍性は、研究者のあいだでも「素朴・雄大・簡明・まことの文学」と非常に高く評価されました。

ここで再びワンクッション置いて、実際にどんな歌がうたわれているのか紹介しましょう。

多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき(東歌、作者不明)

この歌は、川で布をさらす仕事をしている女性のことを歌ったもの。いわゆる労働の歌のひとつとされています。冬であれば川の水はかなり冷たいはず。そんな冷たさに耐えながら仕事をする女性の姿を垣間見ることができます。

5.万葉集時代は食事は長寿食

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万葉集の時代の食事は、現代にくらべるととても質素。しかし、健康によい食事が多かったようです。そのため、「長生き食」「頭を良くする食」とも言われています。実は、古代の人々は、平安時代の貴族や庶民よりもずっと長生き。女性も野外を走り回り、兵士として戦に参加することもありました。

5-1万葉集の時代のお酒

山上憶良の貧窮問答歌(ひんきゅうもんどうか)でうたわれている内容から、庶民は糟湯酒(かすゆざけ)というものを飲んでいたことが分かっています。酒粕を湯で溶いた安価な飲み物でした。憶良は、中国大陸から渡って来た渡来人とも言われている官僚。資産家という顔を持ちつつ、貧しい庶民の感情を慈悲の心でよむ歌人でもありました。

ちなみに当時の天皇が飲んだ酒は須弥酒生(すみさけ)というもの。澄みきった最高級の酒だったと伝えられています。菊酒は仙人の薬とも呼ばれ、国王クラスの人しか飲めませんでした。

5-2魚介類と肉類もたっぷり食べていた

古代の貴族といわれる高級官僚たちのお気に入りは「お取り寄せ」。全国から美味珍味を取り寄せて、地方の味を楽しんでいました。

人気があったのが今と同じ魚介類。アワビ、 ナマコ、ホヤ、タイの塩辛、カツオ、イワシ、ウナギ、アユの煮物、サワラの酢のものなどがお取り寄せされていました。肉類で人気があったのは、カモ、シカ、イノシシなど。平安時代になると、肉や魚を食べることはタブー。しかし、万葉の時代はそうではありませんでした。

5-3工夫を凝らしたデザートも存在

万葉集の時代のデザートは、クリ、クルミ、ドングリ、カキ、ウリ、ナス、モモなど。いわゆる果物はぜいたく品であり、貴族でもめったに食べられませんでした。また、貴族たちは、これらの食材に工夫をこらして、不老長寿の薬を作ろうとしていたことも分かっています。

さらに、かき氷のようなスイーツも食べられていたことも判明。そのひとつが、天皇専用の氷室で保存していた氷を酒に浮かべた大人スイーツです。かき氷にアマズラという甘い蔓草の蜜をかけたシャーベットのようなものも食べられていました。

ちなみに、蘇(そ)と呼ばれる古代チーズは、現在も奈良のホテルなどで販売されています。

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6.万葉集の時代の食事の目標

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万葉集の時代の食事は、平安時代とくらべるととても健康的。私たちも参考にできそうな食事ばかりです。古代の人々は、どのような目的で、食事をとっていたのか、具体的に見ていきましょう。

6-1万葉集の時代に使われていた食材

魏志倭人伝という3世紀ごろ中国で書かれた歴史書に、日本人の暮らしぶりが書かれている箇所があるのですが、そこでミョウガを食べている様子が記録されています。また、また、青じそ、海苔、ニンニクも、古代の人々の貴重な栄養源でした。

縄文時代から食べられていたのが、ショウガ、ヤマイモ、干しシイタケなど。さらにコンブも好んで食べられていたようです。また、和食の原点ともいえる、ダシをとるための乾物もつくられていることも判明。海の幸、山の幸をバランスよく食べていたことが分かりますね。

6-2調理法はゆでる、蒸す、煮るが基本

万葉の時代のレシピに油を使うものはなし。味噌や醤油もまだ存在していません。調味料を使わず、シンプルに「茹でる」「蒸す」「煮る」を基本に、素材の味をそのまま楽しんでいました。とはいえ、塩や酢で味付けをして食べることもあったようです。

また、春夏秋冬の旬の食べ物をいただくのも古代の人々の食事の基本。それぞれの季節の自然がはぐくんだ食材のみで調理していました。水は川や谷川の天然水のみ。お米はいわゆる白米ではなく、玄米、黒米、赤米などでした。まさに不老長寿を目指す食生活であったこが分かります。

グローバル化と個人主義が輝く万葉集

すべて漢字で書かれている万葉集は中国文化の影響を強く受けたグローバルな流れを感じさせる歌集。また歌人と呼ばれる個人の歌が加わるなど、個人主義も色濃く反映されています。素朴で力強く、ありのままの人間性をうたうスタンスはまさにリアリズム。教科書でちょっと触れて終わることが多い万葉集ですが、歴史的にも重要な歌集であることが分かります。  

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奈良時代平安時代日本史

3分で簡単「万葉集」日本最古の歌集と古代の人々の生活を元大学教員がわかりやすく解説

新元号が令和となることが発表されたとき、その出典ということで万葉集に興味を持った人も多いでしょう。有名な和歌が数多くおさめられているため、「これ、万葉集の和歌だったの」と驚くことも多いでしょう。

それじゃあ、万葉集がどのような歴史を経て成立したのか、どのような作品がおさめられているのか、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史や文化を専門とする元大学教員。日本の古典にも興味があり、いろいろ調べている。万葉集は、教科書に必ず登場するものの、実際はどのような歌集なのか意外とよく知らない。そこで、万葉集の作品や、それが詠まれた背景について調べてみた。

1.万葉集とはどんな歌集?

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万葉集は現存する日本最古の歌集です。はっきり分かっているのはそれだけ。いつごろ、誰の手で成立したかは不明です。そのため、万葉集に関する情報のほとんどが「一説」。そこで、濃厚な説を集めながら全体像を見渡していきます。

1-1大伴家持が編纂したという説が濃厚

万葉集のベースとなっているのが、平城京が置かれた奈良時代初期のころから蒐集された歌。大伴家持が何らかのかたちで手を加え、編纂されたものと言われています。そこから、万葉集が成立したのは奈良時代の末から平安時代の初期のあいだと推測。最終的に4500首ほどの歌が集められました。

1-2万葉集の書名の由来はおもに3つ

万葉集という書名の由来には3つの説があります。ひとつは、万葉集の「葉」が「言の葉」を現しているというもの。「言の葉」とは「歌」のこと。多くの歌を集めたという意味になります。

ふたつめの説は「葉」が「世の中」を意味するというもの。千年も万年も伝わるべき「集」という意味です。3つ目の説は「葉」が「木の葉」を意味するというもの。「歌」を「木の葉」にた例えた書名という説です。

2.万葉集はどのようにして出来上がった?

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万葉集が成立する過程の詳細は不明。はっきりと断定できることはほとんどありません。ある程度分かっているのが、中国の文化の伝播がきっかけとなったということ。古代の人々のなかで、歌をよむ、それを言語化する、歌集として編纂する意欲がかきたてられました。

2-1万葉集が成立した時代背景

万葉集のはじまりは舒明天皇が629年に即位したころ。130年ほどかけてさまざまなジャンルの歌が採取され、孝謙女帝のころに形ができあがったと言われています。

奈良時代はちょうど古代国家の形が整ってきた時代。それより前の古墳時代のころから、漢字が少しずつ伝わってきていました。遣唐使を通じて大量に中国の詩集などが渡来。文字をもたなかった日本人たちが、漢字で自分たちの歌や詩を表記したくなり、歌集編纂に繋がったと言われています。

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