「阪神間モダニズム」とは?鉄道がつくった近代的な文化について元大学教員が3分でわかりやすく解説
地域をブランド化したことでも知られる阪神間モダニズムについて、現代社会に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
- 阪神間モダニズムとはどんな文化?
- 明治末期から昭和初期に開花した地域文化
- 西宮や芦屋のブランド化に貢献
- 阪神間モダニズムという言葉はどこから生まれた?
- 芸術とのゆかりから生まれた阪神間モダニズム
- 鉄道会社が作った都市文化・消費文化を指す
- 阪神間モダニズムの特徴
- 和洋折衷の建築デザイン
- ライフスタイルは女性にアピール
- 阪神間モダニズムの建築物1 甲子園会館
- 遠藤新が設計したホテル
- 現在は武庫川学院大学建築学科の建物
- 阪神間モダニズムの建築物2 ヨドコウ迎賓館
- フランク・ロイド・ライトが設計
- 自然と調和した近代的なデザインが特徴
- 阪神間モダニズムの建築物3 旧乾邸住宅
- 乾汽船の創業者の個人邸宅
- 長らく保存が難航する旧乾邸住宅
- 阪神間モダニズムは日本の近代化の象徴
この記事の目次
ライター/ひこすけ
アメリカ文化と歴史が専門の元大学教員。日本のモダニズムについて調べているときフランク・ロイド・ライトが設計した建築物に遭遇。そのなかで甲子園ホテルと阪神間モダニズムのことを知った。そこで阪急と阪神が発信した文化キャンペーンについて調べてみた。
阪神間モダニズムとはどんな文化?
阪神間モダニズムとは、かつての日本で流行した建築デザインの方法。それを推進したのは鉄道会社でした。路線を拡大させていくとき、利用者を増やすために沿線の地域も一緒に開発。そこで生まれた近代的な建築物、ライフスタイル、価値観などすべてを阪神間モダニズムに含むことができます。
こちらの記事もおすすめ
必要最低限だけでいい「ミニマムライフ世代」について元大学教員が3分でわかりやすく解説
明治末期から昭和初期に開花した地域文化
阪神間モダニズムが流行した時期は、明治の終わりから昭和の初めにかけて。西洋の影響を受けた建築物や一般家屋が建てられました。なかには、モダニズム建築の父と呼ばれるフランク・ロイド・ライトやその弟子が設計した建築物も含まれています。
もともと日本では、大阪と神戸は大都市化しつつありましたが、そのあいだのエリアは未開拓。それが、阪神電気鉄道、阪神急行電鉄、阪急宝塚本線などが開通することで、都市エリアが拡大していきます。
西宮や芦屋のブランド化に貢献
路線を拡大させるために私鉄が資本をつぎ込んだのが郊外の開発。それにより、西宮市や芦屋市が近代的な生活ができる最先端の場所としてブランド化されます。富裕層の豪邸が立ち並ぶようになり、徐々にサラリーマンなど中間所得層が増えていきました。
鉄道会社は、最先端のライフスタイルを送れるとアピール。生活の主体でもある女性を意識していることから、モダンな女性文化も生み出します。実は、日本で初めてのファッション雑誌が生まれたのが芦屋。このエリアにそのような雑誌を読む女性層が住んでいたからこそだと言えます。
\次のページで「阪神間モダニズムという言葉はどこから生まれた?」を解説!/