ヨーロッパの歴史世界史植民地時代

「ヴァスコ ダ ガマ」って誰?ポルトガル植民地政策の基礎をつくった重要人物を元大学教員が5分でわかりやすく解説

ヴァスコ・ダ・ガマの軍事支配に対する評価

ヴァスコ・ダ・ガマは大航海時代の立て役者のひとり。しかし、彼の強硬な姿勢により被害を受けたエリアも少なくありません。キルワは、農作物の生産と貿易により栄えていたものの、ポルトガル船による破壊活動のあとは衰退の一途をたどります。

イスラム商人を一方的に排除する、カレクト王国の市街地に砲撃を加えるなど、軍事力を使ってひれ伏させようとするのがポルトガルのやり方。大航海時代の航海者による破壊と略奪は知られていますが、ヴァスコ・ダ・ガマの攻撃性はかなり強力でした。

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当時の現地の記録には、強大な軍事力を持って寄港するポルトガル船を恐れる文章の残っている。また、ヴァスコ・ダ・ガマ自身も、現地の人々から恐れられた存在。航海者というイメージでは語りきれないところがある。

3回目の航海でヴァスコ・ダ・ガマの病状悪化

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By Câmara – english wikpedia (image:Asia oceania anonymous c1550.JPG), Public Domain, Link

インド洋にて功績を挙げてきたヴァスコ・ダ・ガマですが、3回目の航海にて健康状態が悪化。最後まで意欲的に一団を指揮しましたが、異国の地で人生を終えました。

威嚇活動を繰り返す最中に亡くなる

ポルトガルはインド周辺の各地に拠点をつくり、交易のみならず軍事的にも力を強めていきました。支配をさらに確固たるものにするためヴァスコ・ダ・ガマは威嚇活動を繰り返し、諸国を恐れさせます。

同時にヴァスコ・ダ・ガマの健康状態は徐々に悪化。自らの死を悟った彼は、業務の引き継ぎ書や死後の命令書を作成します。その後、彼はコチンにて息を引き取り、現地の修道院にて葬儀が行われ、遺体はポルトガルに戻りました。

インド支配に関わった息子たち

ヴァスコ・ダ・ガマが亡くなったあと、父親が確立させたインドにて、息子たちが支配に関わります。長男はヴァスコ・ダ・ガマの遺産と称号を継承。次男はインド総督に就任します。

三男もまた、父親が支配の土台をつくったインドに赴任。四男は戦死しますが、五男と六男はマラッカ長官に任命されています。

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ヴァスコ・ダ・ガマはポルトガルのインド支配に命を懸けた人物だった。彼の幼少期の姿はまったく分からないが、冒険家としてのロマンがあるタイプではなく、完全に軍人だったのだろう。

ヴァスコ・ダ・ガマから大航海時代の多様な側面を学ぶ

大航海時代というと、勇気ある探検家たちが大海原を渡って、未知の大陸を探しに行くロマンを想像する人も多いでしょう。実際は、大航海時代の背景には、交易で利益をあげたい国の思惑があります。そのため、ポルトガルのように強硬な手段を使って、他国を支配下に置くというケースも少なくありません。そのため、政治や軍事力の存在も考えながら、大航海時代について学んでいくことが大切です。

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