ヨーロッパの歴史世界史植民地時代

「ヴァスコ ダ ガマ」って誰?ポルトガル植民地政策の基礎をつくった重要人物を元大学教員が5分で解説

よぉ、桜木建二だ。世界史の分野で大航海時代について学ぶとき、ヴァスコ・ダ・ガマの名前が必ずと言っていいほど登場する。彼はポルトガル出身の航海者で、ヨーロッパ人として初めてインドへの航路の「発見者」と位置づけられている。アフリカの南端近くにある喜望峰の通過に成功したのも同じくヴァスコ・ダ・ガマだ。

彼のチャレンジは、ヨーロッパ人の航路開拓に貢献すると同時に、ポルトガル植民地政策の基礎をつくった。そんな彼に関連する情報を、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/ひこすけ

アメリカの歴史や文化を専門とする元大学教員。個人的に大航海時代に興味があり、情報が限定されているヴァスコ・ダ・ガマが気になった。彼の航海によりポルトガルの貿易スポットが世界中にできる。その周辺の文化にも影響を与えた彼の航海について、これを機会にと調べてみた。

ヴァスコ・ダ・ガマとはどんな人物?

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ヴァスコ・ダ・ガマはポルトガル生まれの航海者。バスコ・ダ・ガマと呼ばれることおあります。航海術の才能にあふれていることからインドへ向かう航路の開拓というミッションを課せられ、それを成し遂げました。

大航海時代に活躍したポルトガル人航海者

ヴァスコ・ダ・ガマが活躍したのは、コロンブスやマゼランと同じ大航海時代。コロンブスとマゼランはスペインの支援を受けているのに対して、ヴァスコ・ダ・ガマはポルトガルがスポンサーです。そのためふたりはライバル関係にありました。

ヴァスコ・ダ・ガマは、世界史の教科書ではインド航路を「発見」したと言われます。ただし「発見」したのはヨーロッパ人として。インド航路を開拓するなかで、ポルトガルの植民地政策の基礎を築いたと言ったほうがいいでしょう。

リスボン地震のあと記録が消失

ヴァスコ・ダ・ガマの幼少期についてはほとんど分かりません。その理由が1755年に発生したリスボン地震。王立図書館に保管された記録が津波で流されたことで、関連する史料がなくなったと言われています。

ヴァスコ・ダ・ガマの3回の航海についても公式な記録はなし。第一回については、船の一隻に乗っていた兵士の記録がありますが、ひとりの兵士の記録にすぎないため詳細のフォローは困難。そのほか、いくつかの著作から見ていく形になるようです。

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ヴァスコ・ダ・ガマの航海エピソードは多い。しかし元ネタが一般向けの本のため、大げさな内容も多いようだ。そのため本当のヴァスコ・ダ・ガマの姿はほとんど分からないと言っていいだろう。

ポルトガルにより司令官に選出されたヴァスコ・ダ・ガマ

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ヴァスコ・ダ・ガマの生い立ちはほとんど不明。ポルトガルの港町であるシーネスで生まれ育ったことから、その地で航海に関する知識や技術を身に付けたと思われます。そんなヴァスコ・ダ・ガマは、ポルトガル王により司令官に任命され、1497年にリスボンを出発しました。

財政難から香辛料を求めるポルトガル

ポルトガルがヴァスコ・ダ・ガマをインドに向けて派遣した理由は香辛料。ヨーロッパの国々は財政がひっ迫しており、黄金や香辛料で解決しようとしていました。

ヨーロッパ諸国が目指していたのが、今のインドや中国を指すインディアスです。スペインの支援をうけてインディアスを目指したコロンブスがアメリカ大陸に到達。そのためポルトガルは、アフリカの喜望峰経由の航路を開拓を急ぎます。

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