「シンパシー」の使い方・例文
「シンパシー」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。
1.婚活はテキトーにしていたのだが、ある日のお見合いパーティーで出会った女性にシンパシーを感じて、積極的にアタックして一気に結婚までこぎつけてしまった。
2.ある政治的活動をする人物の演説を聞き、シンパシーをおぼえた僕は活動に参加することにした。
3.雪国生まれの私は、友人が撮影した雪深い村の風景写真をみると、雪と共に生きる人々へのシンパシーを抱いてつい感情移入してしまう。
「シンパシー」を表現するには、シンパシーを「感じる」、シンパシーを「おぼえる」、シンパシーを「抱く(いだく)」のように使います。
どれも入れ替えて使えますが、「おぼえる」には「いま感じた」というニュアンス、「いだく」には「少年よ大志をいだけ」の言葉のように心にしっかり持つといったニュアンスがあるかもしれません。しかし大きな違いはないでしょう。
「シンパシー」の対象は個人の場合もあれば、社会的な思想の場合もあります。1950年代から1970年代ころの日本では、左翼思想(共産主義など)にシンパシーをいだく若者が学生運動をくり広げました。「左翼思想にシンパシーをいだく者たち」という意味で「シンパ」と呼ばれた彼ら。「シンパ」たちはインターネットを持っていなくても、国家への反発という思想でつながることが可能だったのです。
「意気投合」
「意気投合」は、相手の意見や気持ちがお互いにピッタリくることです。「共感できる!」と感じる感覚が「シンパシー」と似ています。
「シンパシー」と「意気投合」の違いは「お互いが同じ気持ちかどうか」という点です。「初対面の相手と意気投合する」だと、会うなり話が盛りあがってあっというまに仲良くなるような、「両想い」の状態が想像できますね。
一方「初対面の相手にシンパシーを感じる」の場合、「両想い」かどうかは分かりません。相手の話やふるまいから自分に通じる部分を感じ、共感をもったことを表すのみです。相手も自分にシンパシーを感じたのか、そこは分からない点が「意気投合」との違いとなります。
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