近年マイカーの普及と自動車道の整備がますます進む中で、利用者の少ない鉄道路線はとかく「廃線」の検討がなされやすい。とりわけ廃線が多いJR北海道では、東海道新幹線開業の1964年には約5000kmもあった路線長が半世紀後にはおよそ半分になっている。全国で見ても2000年以降の約20年間だけでもおよそ1000kmの路線が廃止されている状況です。鉄道を維持するのはコストが高く、利用が少ない路線は廃止を検討するのも1つの戦略ですが、一方普段は使わない路線が非常時に役立つことがある。この記事では関西の鉄道オタクR175と阪神淡路大震災の事例を見ながら、代替ルートの意義について解説していこう。

ライター/R175

関西在住の鉄道オタクで教員免許持ち。自身の実家も阪神・淡路大震災で被災した。鉄道網への知識を生かして非常時の代替交通の意義について解説する。

1.兵庫県南部地震と阪神淡路大震災

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1995年1月17日、日本で初めて発生した都市直下型の地震が「兵庫県南部地震」でそれによる一連の災害のことを阪神大震災あるいは阪神淡路大震災と呼びます。直下型との文字通り、都市部(神戸市周辺)のほぼ真下を震源としました。淡路島から神戸の辺りにかけて存在する野島断層のズレが原因と考えられます。この辺りの地盤の南東側(右下側)には南西方向に向かって横ズレしながら隆起するような力がかかっており、これにより突然地盤のズレが生じたのが揺れの原因です。

2.阪神淡路大震災は予測できなかったのか

地震発生当時は「関西では地震が起きないであろうと多くの人が考えている時代でした。震災直後の惨状を伝える写真で、転倒・倒壊した構造物や落下物が多く見られることからも巨大地震の予測し本格的に対策していたケースは少なかったと考えられますが、後の研究ではいくつか前兆現象が起きていたことが分かっています。ただし、以下に記述するすべてが本震に関係していたかどうかは定かではありません。

主な原因

京都大学の研究によると、地震の起きる5年ほど前の1989年終わり頃から、近畿地方の地殻の歪みが急激な圧縮から伸びに転じていたことがのちの研究で明らかになっていて、これが地震の原因になったとされています。

3.静穏化とは

阪神淡路大震災で大きな被害を出した理由の一つとして関西では地震は起こらないだろう、という油断がありました。このような油断を招いた理由の一つに鎮静化があります。

 

近隣では地震が起きており、本来なら地震が起きやすい場所なのに、その地点でしばらく地震が起きていない状態を静穏化といいます。兵庫県南部地震が発生する約2年半ほど前の1992年後半から震源に近い北摂・丹波山地全体で静穏化が起きていたことが後のデータ解析から判明しました。静穏化が起きるのは以下のようなケースが考えられます。

その1.断層面やプレート境界面に流動的な物質がある

断層やプレートのズレによって地震が起きますが、その境界面に流動的な物質があれば、仮にそこでズレが起きてもエネルギーを地上に伝えにくくするため揺れは感じられないというケース。断層やプレートに溜まったエネルギーは適時解放されますが、揺れは起こしにくいということ。

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その2.応力が安定している

応力とは、物体表面にかかる圧力のこと。表面にかかっている力÷面積ですが、ここでは≒力という解釈でOKです。プレートや断層をパズルに見立てて、それぞれのパズルが動こうとするからどこかにシワ寄せがいくあるところではパズル同士が離れようとし、あるところでは接近し合う。プレートや断層もこのような動きをするのですが、全部が全部押し合ったり、引っ張りあったりするかというとそうでもないのです。パズルの動き方によっては引っ張られも押されもしない境界面が出てきて、ここでは相互間に働く応力が安定しています。そのため、そもそもエネルギーが蓄積されにくくプレートや断層のズレも起きにくい。よって地震も起きにくいわけです。

鎮静化は役に危険?

一見、地震が起きにくくなって「安全」そうに見えますが、逆にこれは大地震の前触れとも言われます。長らく断層やプレート境界面の応力が安定していたとは言っても、他の箇所が動くことで力のかかり方が変わり「実は力を溜め込んでいる」可能性もありますね。他の箇所がズレてエネルギーを放出していく中でどっとシワ寄せがくるかもしれません。

4.地震の前触れ

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以下、地震の前触れと考えられている事象について説明していきましょう。

その1近隣で小さな地震が多発していた

地震発生の2ヶ月前、1994年の11月頃から、震源から40kmほど離れた兵庫県猪名川町で微震が断続的に起きていたようです。ただし、当時は現在ほどピンポイントに震度計が整備されていなかったため、正確な情報はつかめていません。この一連の地震が本震の前兆であった可能性があるという説と、兵庫県南部地震の震源からは40km以上も離れているから無関係だという指摘もあります。

その2ラドン濃度の変化

前兆現象の面白い例として、大気中や地下水中のラドン(Rn)濃度から地殻変動や地震の予測をするものがありました。ラドンは地下深部のウランから出来るもので、通常は外部に出ることなく岩石内に留まっているのですが、岩石に亀裂が入ることでラドンが地下水中に流失し、ラドン濃度が高くなるのではないかという仮説があり、実際に兵庫県南部地震の10日前にはラドン濃度が通常の20倍にも達していたとあう報告もあります。説得力がありますが、地震との関連に関しては定説がないようです。

その他

地下水水位の変動や夜間なのに異常に明るい空、なども多くの人が観測しており大地震の前触れである可能性がありますが、科学的な裏付けは取れていないようです。

5.もし緊急地震速報があったら

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相次ぐ地震の教訓から、日本では2007年から緊急地震速報という仕組みが整備されています。これは、地面内部を伝わる2つの地震波P波とS波のうち、伝達の速いP波によって起きる「初期微動を観測した段階で緊急地震速報を出して、速度の遅いS波が到達した時に起きる「主要動、横揺れに備えるためです。P波とS波の到達時間のラグは数秒〜数十秒程度ですが、火を消したり安全なところに逃げたりと少しでも対策が出来そうですね。もし阪神大震災の当時にこの仕組みがあったら、少しでも被害が防げたのでしょうか?

残念ながら、答えはNoです。なぜなら兵庫県南部地震波は都市部の真下に近いところを震源とする「都市直下型地震」であり、P波の到達とS波の到達のタイムラグはほとんどなく緊急地震速報を出しても間に合わないためですね。

\次のページで「6.鉄道路線への影響と迂回ルートの整備」を解説!/

6.鉄道路線への影響と迂回ルートの整備

利用客が少ない鉄道路線は採算性の問題から「廃線を検討されがちで、特に廃線が多いJR北海道では半世紀で路線長が半分になったことは冒頭でも触れました。廃線の対象になるのは専ら起点か終点どちらかが他の路線と接続しない「盲腸線」が多かったのですが、2018年3月に廃線となったJR西日本管内の芸備線三次駅(広島県)~山陰本線江津駅(島根県)を結んでいた「三江線」は起点も終点も他路線と接続していて、しかも路線の全長100km以上であり、廃線になった区間として本州では歴代最長のようです。利用客低迷に加えて路線の維持費がかさみ、採算性の問題から「廃線」という選択肢が取られることも増えていますが、普段は利用客が少ない路線が、非常事態の代替ルートとして大きな役割を場合もあります。

 

その1阪神大震災と鉄道路線の不通

その1阪神大震災と鉄道路線の不通

image by Study-Z編集部

地震発生が1/17でその後主な鉄道で全区間が復旧したのは、最も早いJRでも4/1、震災から約2ヶ月半後でした。阪急、阪神など私鉄は6月に全線復旧しました。復旧までの期間、寸断された地点を超えて移動する場合は当然他ルートに迂回する必要がありました。

その2迂回乗車

被災地より西側(例えば姫路市など)から大阪あるいは京都に行こうとすると、その間神戸線に不通区間があることから、かなり時間かけて迂回ルートでアクセスする必要がありました。阪神都市圏を迂回するルートは主に下記の2つがります。当時はどちらも単線非電化であり、移動時間が大幅に長くなることは避けられませんでした。

迂回ルート1~加古川線経由

被災地のやや西側にある兵庫県「加古川駅」から内陸部に入り、JR福知山線の「谷川駅」に接続する路線です。姫路~大阪間を移動する場合、通常の神戸線経由だと約1時間ですが、このルートを使うと電化された現在のダイヤでも3時間半~4時間ほどかかります。

それでも、後述する播但線経由より迂回距離も時間も短いことから利用者が多く、福知山線との乗り換えの「谷川駅」では1日の乗り換え客が8500人と、普段の乗車客の約10倍に達することもありました。それに対応するため、加古川線内の直通列車を通常9本→45本に増発したようです。

ただし、この迂回ルートの弱点は「直通運転ができない」こと。谷川駅で加古川線から福知山線に入る分岐が十分に整備されおらず営業運転には使えなかったようです。よって、谷川駅では必ず乗り換えが必要になりました。

迂回ルート2~播但線経由

こちらは加古川駅よりさらに西の兵庫県「姫路駅」から内陸部を北上し、「和田山駅」から山陰本線を通って福知山駅から福知山線に入り大阪にアクセスするルートです。日本海側を通る山陰本線まで迂回する必要があり、大阪~姫路間の場合通常の神戸線経由で約1時間のところが、このルートだと現在のダイヤでも5時間半~6時間ほどかかり、前述の加古川線よりは長くなります

ただし、こちらのメリットは「直通運転」が可能なこと。迂回目的の利用客は多く、播但線内ノンストップの快速列車が最大1日6往復に加えて、「姫路→和田山→福知山→新大阪」と迂回ルートを丸々直通する快速も1往復運転されました。

その3迂回ルートの苦労

乗客だけではなく、列車の回送も迂回ルートを使う必要があります。区間運転で対応するから不通区間は通らなくて済むかというとそうもいきません。整備などのために列車基地に移動させたり、基地から運行区間に戻したりするためには列車の回送が必要です。阪神大震災で不通となった区間は神戸〜大阪間の一部区間で、一方この区間で運転される車両は不通区間より西側の姫路車両基地に属します。不通区間で車両基地から分断された東側は車両を出入りさせるためには迂回が必要ということです。旅客利用と同様、回送も播但線・山陰本線や加古川線を使うことになりますが、時間がかかる以外にも問題がありました。

 

\次のページで「その4非電化区間での「電車」の回送」を解説!/

その4非電化区間での「電車」の回送

迂回路線の播但線と加古川線は当時単線非電化の区間でした。一方迂回させたい列車は「電車なので非電化区間では自力で走行することは出来ませんよって気動車の機関車で牽引する必要があるわけです。非電化区間を使って電車を移動させるのは大変ですね。しかし問題はそれだけではありません。

その5狭いトンネルで回送する時の問題点

気動車と電車の違いは、パンタグラフの有無で、電車は屋根にパンタグラフが乗っている分スペースが必要です。しかし、非電化区間のトンネルではパンタグラフが通れるだけのスペースを取っていないことがあります広いトンネルを掘ることはそれだけコストがかかりますから、明治期に作られた古いトンネルでは将来電化することを想定しておらず、ギリギリのサイズで掘っていました。そのため、これらの区間を通る時は電車を回送させるために、パンタグラフを一旦外して運び、電化区間の山陰本線に入ってから再び取り付けて自力で走行するといった方法が取られたようです。 

その6震災後の代替路線整備

迂回距離が短い加古川線は優先的に電化整備が進められ、2004年に電化が完了し、旅客利用も回送も便利になりました。総事業費は60億円、そのうち45億円はJR西日本や沿線自治体が、残りの15億円は沿線地域の募金などにより民間が破綻しました。

 

一方の播但線は、姫路〜寺前間は1998年に電化が完了しましたが、寺前〜和田山間は前述の通り断面積の狭いトンネルなどの影響から、電化するにはトンネルの掘りなおしが必要なことから電化整備が後ろ倒しになっているようです。

その7第二次世界大戦下で整備されかけた代替路線

その7第二次世界大戦下で整備されかけた代替路線

image by Study-Z編集部

非常事態用の代替路線がかつて整備されかけていました。第二次世界大戦中、兵庫県の内陸部の福知山線篠山口駅から京都のやや内陸部の山陰本線園部駅までをつなぐ計画がありました。戦況が悪化する中、メインルートである神戸線や東海道線は空襲の被害を受け機能しなくなる恐れがあり、その代替ルートとしての整備です。取り急ぎ1944年に、篠山口駅から篠山市街地を通って、大阪府との県境に近い「福住」まで開通しました。国鉄篠山線です。しかし園部駅まで延伸することなく終戦を迎え、整備する必要性が薄れました。その後はマイカーの普及もあって、 篠山線の利用は伸び悩み1972年に延伸されることなく篠山線自体が廃線となりました。

 

もし、篠山線が園部まで開通していたら前述の加古川線、福知山線と合わせて、京阪神都市圏を丸々迂回出来るルートになっていましたね。

非常事態と代替ルート

普段利用客が少ない路線も、非常事態でメインルーツが使えなくなった時に迂回ルートとして機能することがあります。関西の都市圏では実際、播但線や加古川線が阪神淡路大震災時の迂回ルートとして注目されその後電化整備されました。その他、第二次世界大戦時には、兵庫県の内陸部から京都方面に抜ける路線が計画されていましたが、こちらは未成となりました。

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現代社会

阪神淡路大震災はなぜ起きた?予測非常時の代替通路の重要性についても関西の鉄道オタクがわかりやすく解説

近年マイカーの普及と自動車道の整備がますます進む中で、利用者の少ない鉄道路線はとかく「廃線」の検討がなされやすい。とりわけ廃線が多いJR北海道では、東海道新幹線開業の1964年には約5000kmもあった路線長が半世紀後にはおよそ半分になっている。全国で見ても2000年以降の約20年間だけでもおよそ1000kmの路線が廃止されている状況です。鉄道を維持するのはコストが高く、利用が少ない路線は廃止を検討するのも1つの戦略ですが、一方普段は使わない路線が非常時に役立つことがある。この記事では関西の鉄道オタクR175と阪神淡路大震災の事例を見ながら、代替ルートの意義について解説していこう。

ライター/R175

関西在住の鉄道オタクで教員免許持ち。自身の実家も阪神・淡路大震災で被災した。鉄道網への知識を生かして非常時の代替交通の意義について解説する。

1.兵庫県南部地震と阪神淡路大震災

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1995年1月17日、日本で初めて発生した都市直下型の地震が「兵庫県南部地震」でそれによる一連の災害のことを阪神大震災あるいは阪神淡路大震災と呼びます。直下型との文字通り、都市部(神戸市周辺)のほぼ真下を震源としました。淡路島から神戸の辺りにかけて存在する野島断層のズレが原因と考えられます。この辺りの地盤の南東側(右下側)には南西方向に向かって横ズレしながら隆起するような力がかかっており、これにより突然地盤のズレが生じたのが揺れの原因です。

2.阪神淡路大震災は予測できなかったのか

地震発生当時は「関西では地震が起きないであろうと多くの人が考えている時代でした。震災直後の惨状を伝える写真で、転倒・倒壊した構造物や落下物が多く見られることからも巨大地震の予測し本格的に対策していたケースは少なかったと考えられますが、後の研究ではいくつか前兆現象が起きていたことが分かっています。ただし、以下に記述するすべてが本震に関係していたかどうかは定かではありません。

主な原因

京都大学の研究によると、地震の起きる5年ほど前の1989年終わり頃から、近畿地方の地殻の歪みが急激な圧縮から伸びに転じていたことがのちの研究で明らかになっていて、これが地震の原因になったとされています。

3.静穏化とは

阪神淡路大震災で大きな被害を出した理由の一つとして関西では地震は起こらないだろう、という油断がありました。このような油断を招いた理由の一つに鎮静化があります。

 

近隣では地震が起きており、本来なら地震が起きやすい場所なのに、その地点でしばらく地震が起きていない状態を静穏化といいます。兵庫県南部地震が発生する約2年半ほど前の1992年後半から震源に近い北摂・丹波山地全体で静穏化が起きていたことが後のデータ解析から判明しました。静穏化が起きるのは以下のようなケースが考えられます。

その1.断層面やプレート境界面に流動的な物質がある

断層やプレートのズレによって地震が起きますが、その境界面に流動的な物質があれば、仮にそこでズレが起きてもエネルギーを地上に伝えにくくするため揺れは感じられないというケース。断層やプレートに溜まったエネルギーは適時解放されますが、揺れは起こしにくいということ。

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