
第二回の航海では南極圏に突入
By Butterfly voyages – mp.natlib.govt.nz, Public Domain, Link
オーストラリアから帰ったクックは、その地での仕事が高く評価されます。さらに彼の航海日誌は科学の世界でも話題になるように。こうした功績から、今度は海尉艦長に昇進、さらに第二回航海として、王立協会から正式に南方大陸を探す探検隊の指揮を任されました。
南極大陸の近くまで行ったキャプテン・クック
このとき、地球の南方に大きな大陸が存在していると想像されていましたが、誰もそれを確認していませんでした。そこでキャプテン・クックは、未踏の大陸を見つけるために、オーストラリアから船でさらに南にのぼります。
1773年、なんとクックは南極圏に突入することに成功。南緯71度10分まで行きつくことに成功しました。このときクックは、もう少しで南極大陸に到着するという状況。しかしながら、人間が生存できない環境であることからやむを得ず探索を打ち切りました。
人類が居住できない未確認の大陸があると予想
この時期の研究者たちは、南半球の大部分にはテラ・アウストラリスあるいはメガラニカという大陸があると推測していました。これはいわば伝説の大陸。この大陸を探すことがクックたちのミッションでもありました。
当時、オーストラリアがテラ・アウストラリスの一部と見なされていましたが、クックの探検によりニュージーランドが島であることが判明。そのほか、クック諸島やニューカレドニア島などの離島が数多く見つかり、ひとつの大きな大陸であるという説は消滅しました。

オーストラリアという呼び名は、このとき信じられていたテラ・アウストラリスが変形したもの。言われてみると発音が似ている。イギリスの航海士であるマシュー・フリンダースにより広められたそうだ。南極大陸がそれと考えることもできるが、想像されていたテラ・アウストラリスよりかなり小さい。
第三回の航海中に亡くなったキャプテン・クック
By John Webber – http://tpo.tepapa.govt.nz ; o quadro se encontra na galeria William Dixson em Sydney., Public Domain, Link
第二回の航海でも、南極圏に突入するなどの多大な功績が認められて、クックはポスト・キャプテンに出世。船旅で壊血病の予防に貢献したことも評価され、海軍病院の院長に任命されます。さらには王立協会からメダルを授与されフェローにも選出。出世を重ねた結果、海を離れるかたちになったクックは、それが我慢できずに第三回目の航海をスタートさせます。
心身の不調に悩まされるように
第三回の航海ではヨーロッパ人ではじめてハワイに到達することに成功。カリフォルニアエリアなどアメリカ大陸の南側の測量も成し遂げます。しかしながらクックは、長く続いた航海のストレスの影響からか、心身の健康が徐々に悪化していきました。
心身の不調の影響からかクックは癇癪を起すこが増え、周りとの関係が悪化。乗員ともめごとを起こすようになっていきました。アラスカでセイウチを仕留めたとき、その味が好みではなかった船員たちに無理やり食べさせようとしたことで、一隊は反乱寸前となります。
ハワイの村人との小競り合いで命を落とす
キャプテン・クックの探検隊の雰囲気は悪化の一途をたどり、それがクック悲惨なに死につながります。事件の現場となったのがハワイ島。ケアラケクア湾の漁村で、先住民が探検隊のボートを盗んだことから、クックの悲劇が始まります。
ボートの返還の交渉を進めるために、先住民の人質を取ろうとしたところ、クックの精神状態の悪さにより失敗。そこでゴタゴタが勃発、先住民に攻撃をしかけられてしまいます。そこでクックは石で頭を殴打され死亡。遺体は先住民に持ち去られてしまいました。
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