イギリスヨーロッパの歴史世界史

「キャプテン クック」って誰?大航海の食事を変えた?元大学教員が5分でわかりやすく解説

海軍でぐんぐん出世に成功

クックが海軍の水兵になった理由は、さらに早いスピードで出世できると思ったから。彼の思惑通り、海軍でクックは瞬く間に頭角をあらわします。あっという間にクックは、周りを追い抜いて水平から航海士に昇進を果たしました。

クックがこれほどのスピードで出世できたのは、彼の才能もさることながら、七年戦争を目前に英国が海軍を増強しているタイミングと一致したから。海軍に入って2年目には、航海長の任用試験にみごと合格しました。このときのクックの年齢は29才でした。

七年戦争で必要とされた海図作成で貢献

1756年から1763年にかけてヨーロッパ強国のあいだで起こったのが七年戦争。そのあいだクックは航海長としてイギリスの軍艦に乗船します。とくに測量および海図作成に力を注ぎ、カナダにおけるイギリス支配の確立に貢献しました。

さらにクックは、カナダのニューファンドランド島の測量にも貢献。海が荒れやすく測量することが困難な環境だったものの、クックは粘り強く仕事を続けます。その結果、かなり正確な海図を作製することを成し遂げました。

no-img2″>
 <figcaption class=桜木建二

七年戦争はハプルブルク家がプロイセンから領地を奪回しようとしたことこから始まった戦争。フランスとオーストリアの国力の低下とイギリスの飛躍をもたらした、いわば、ヨーロッパの列強のヒエラルキーを一転させた戦争だ。そこに若き日のキャプテン・クックが関わっているのは面白い話だ。

第一回の航海はオセアニア地域まで到達

image by PIXTA / 45681803

ニューファンドランド島から帰ったクックは、船に乗って行けるところまで行きたいと思うようになります。ニューファンドランド島の測量により、英国海軍本部と英国王立協会から評価されたこともあり、公式に航海に出ることが許されました。

タチヒで天体観測などの調査を実施

これまで指揮する権限がなかったクックですが、このときから公式の指揮権がある海尉に昇進。彼が乗ったのはイギリス軍艦であるエンデバーです。クックは探検隊を指揮しながら、リオデジャネイロから南アメリカの南端を経由して南太平洋にあるタヒチに赴きました。

タヒチに滞在する目的は金星の日面通過などの天体観測。現地に滞在するために家屋と観測所を作りました。観測のためにグリニッジ天文台長の助手も同行するという本格的な研究。金星と太陽のあいだの正確な距離を測定するための調査を実施しました。

ヨーロッパ人でオーストラリア東海岸に初到達

分担しながら調査するものの、天体観測は十分な成果が出ず。次にクックたちに下された指令が、まだ誰も到達していない南方にある大陸を目指すというものでした。しかしながら暴風雨で船が流されてしまいます。その結果、予定外だったものの、オーストラリア大陸の東海岸に漂着しました。

このとき指令にあった南方の大陸を見つけることはできませんでしたが、結果的にオーストラリア大陸の東海岸に初めて到達したヨーロッパ人という名誉を手にします。クックは東海岸の大規模な測量を行い、その後のイギリス植民地政策の下地を作りました。

no-img2″>
 <figcaption class=桜木建二

オーストラリアの原住民であるアボリジニーと初めて接触したのもクックであると言われている。先住民の発音から「カンガルー」という新しい英語を生み出したのもクック。大航海時代には、ヨーッロッパ人にとって未知のものと遭遇し、たくさんの新しい言語が生まれたころも注目に値する。

\次のページで「第二回の航海では南極圏に突入」を解説!/

次のページを読む
1 2 3 4
Share: