キャプテン・クックとは、大航海時代に活躍したイギリスの海軍士官。太平洋の航海を3回おこない、ニュージランドやオーストラリアなどオセアニアの周辺の地図の作製や南極大陸の情報の獲得に成功した。キャプテン・クックの功績はいろいろありますが、もっとも有名なのが壊血病を出さずに航海する方法を発見したことでしょう。

それじゃ、英国を代表する航海者キャプテン・クックに関連する出来事を、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカ文化と歴史が専門の元大学教員。大航海時代の食事事情に興味があり調べていたところ、壊血病の問題を解決した立役者としてキャプテン・クックに遭遇。キャプテン・クックはどんな人だったのか気になったので調べてみた。

キャプテン・クックとはどんな人物?

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キャプテン・クックの本名はジェームズ・クック。1728年生まれのイギリス人です。日本ではクック船長と呼ばれることもあるでしょう。海軍士官、海洋探検家、海図製作者、博物学者、作家など、さまざまな顔を持っていました。

商売人を目指して奉公人からスタート

キャプテン・クックはスコットランド人の父母のあいだに生まれ、13歳から父と一緒に農場で働き始めます。16歳になったクックは、親元を離れて漁村にある雑貨店で奉公生活を開始。商売人としてのキャリアをスタートさせます。

しかしながらクックの関心は商売にはまったくなく、彼の目の先にあるのが海。彼が商売に向かないことに気が付いた店主が、港町の船主にクックを紹介します。それをきっかけにクックは石炭運搬船団の見習い船員として働くようになりました。

操船に必要な知識をたくわえたクック

雑貨屋の奉公中はまったくやる気がなかったクック。見習い船員として働くなか、操船に必要な知識や技術をめきめきと身に付けていきます。代数学、三角測量法、航海術、天文学などの知識を備えていき、将来のキャリアに備えていきました。

クックが見習い船員として働いたのはわずか3年間。見習い期間が終わったあとクックは、船乗りとしてのさらなるキャリアアップを目指して、バルト海を往来する貿易船で働くようになります。そこで船乗りとしての頭角をあらわしたクックは、貿易船の航海士に昇進するまでになりました。

イギリス海軍で働き始めたキャプテン・クック

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貿易船では航海士として一気に昇進を果たしたものの、クックはさらに上を目指していきます。一か月もたたないうちにクックは転職を決意。貿易船での昇進を捨ててイギリスの海軍に水兵として志願、入隊を果たします。

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海軍でぐんぐん出世に成功

クックが海軍の水兵になった理由は、さらに早いスピードで出世できると思ったから。彼の思惑通り、海軍でクックは瞬く間に頭角をあらわします。あっという間にクックは、周りを追い抜いて水平から航海士に昇進を果たしました。

クックがこれほどのスピードで出世できたのは、彼の才能もさることながら、七年戦争を目前に英国が海軍を増強しているタイミングと一致したから。海軍に入って2年目には、航海長の任用試験にみごと合格しました。このときのクックの年齢は29才でした。

七年戦争で必要とされた海図作成で貢献

1756年から1763年にかけてヨーロッパ強国のあいだで起こったのが七年戦争。そのあいだクックは航海長としてイギリスの軍艦に乗船します。とくに測量および海図作成に力を注ぎ、カナダにおけるイギリス支配の確立に貢献しました。

さらにクックは、カナダのニューファンドランド島の測量にも貢献。海が荒れやすく測量することが困難な環境だったものの、クックは粘り強く仕事を続けます。その結果、かなり正確な海図を作製することを成し遂げました。

第一回の航海はオセアニア地域まで到達

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ニューファンドランド島から帰ったクックは、船に乗って行けるところまで行きたいと思うようになります。ニューファンドランド島の測量により、英国海軍本部と英国王立協会から評価されたこともあり、公式に航海に出ることが許されました。

タチヒで天体観測などの調査を実施

これまで指揮する権限がなかったクックですが、このときから公式の指揮権がある海尉に昇進。彼が乗ったのはイギリス軍艦であるエンデバーです。クックは探検隊を指揮しながら、リオデジャネイロから南アメリカの南端を経由して南太平洋にあるタヒチに赴きました。

タヒチに滞在する目的は金星の日面通過などの天体観測。現地に滞在するために家屋と観測所を作りました。観測のためにグリニッジ天文台長の助手も同行するという本格的な研究。金星と太陽のあいだの正確な距離を測定するための調査を実施しました。

ヨーロッパ人でオーストラリア東海岸に初到達

分担しながら調査するものの、天体観測は十分な成果が出ず。次にクックたちに下された指令が、まだ誰も到達していない南方にある大陸を目指すというものでした。しかしながら暴風雨で船が流されてしまいます。その結果、予定外だったものの、オーストラリア大陸の東海岸に漂着しました。

このとき指令にあった南方の大陸を見つけることはできませんでしたが、結果的にオーストラリア大陸の東海岸に初めて到達したヨーロッパ人という名誉を手にします。クックは東海岸の大規模な測量を行い、その後のイギリス植民地政策の下地を作りました。

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第二回の航海では南極圏に突入

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By Butterfly voyages - mp.natlib.govt.nz, Public Domain, Link

オーストラリアから帰ったクックは、その地での仕事が高く評価されます。さらに彼の航海日誌は科学の世界でも話題になるように。こうした功績から、今度は海尉艦長に昇進、さらに第二回航海として、王立協会から正式に南方大陸を探す探検隊の指揮を任されました。

南極大陸の近くまで行ったキャプテン・クック

このとき、地球の南方に大きな大陸が存在していると想像されていましたが、誰もそれを確認していませんでした。そこでキャプテン・クックは、未踏の大陸を見つけるために、オーストラリアから船でさらに南にのぼります。

1773年、なんとクックは南極圏に突入することに成功。南緯71度10分まで行きつくことに成功しました。このときクックは、もう少しで南極大陸に到着するという状況。しかしながら、人間が生存できない環境であることからやむを得ず探索を打ち切りました。

人類が居住できない未確認の大陸があると予想

この時期の研究者たちは、南半球の大部分にはテラ・アウストラリスあるいはメガラニカという大陸があると推測していました。これはいわば伝説の大陸。この大陸を探すことがクックたちのミッションでもありました。

当時、オーストラリアがテラ・アウストラリスの一部と見なされていましたが、クックの探検によりニュージーランドが島であることが判明。そのほか、クック諸島やニューカレドニア島などの離島が数多く見つかり、ひとつの大きな大陸であるという説は消滅しました。

第三回の航海中に亡くなったキャプテン・クック

Death of Captain Cook.jpg
By John Webber - http://tpo.tepapa.govt.nz ; o quadro se encontra na galeria William Dixson em Sydney., Public Domain, Link

第二回の航海でも、南極圏に突入するなどの多大な功績が認められて、クックはポスト・キャプテンに出世。船旅で壊血病の予防に貢献したことも評価され、海軍病院の院長に任命されます。さらには王立協会からメダルを授与されフェローにも選出。出世を重ねた結果、海を離れるかたちになったクックは、それが我慢できずに第三回目の航海をスタートさせます。

心身の不調に悩まされるように

第三回の航海ではヨーロッパ人ではじめてハワイに到達することに成功。カリフォルニアエリアなどアメリカ大陸の南側の測量も成し遂げます。しかしながらクックは、長く続いた航海のストレスの影響からか、心身の健康が徐々に悪化していきました。

心身の不調の影響からかクックは癇癪を起すこが増え、周りとの関係が悪化。乗員ともめごとを起こすようになっていきました。アラスカでセイウチを仕留めたとき、その味が好みではなかった船員たちに無理やり食べさせようとしたことで、一隊は反乱寸前となります。

ハワイの村人との小競り合いで命を落とす

キャプテン・クックの探検隊の雰囲気は悪化の一途をたどり、それがクック悲惨なに死につながります。事件の現場となったのがハワイ島。ケアラケクア湾の漁村で、先住民が探検隊のボートを盗んだことから、クックの悲劇が始まります。

ボートの返還の交渉を進めるために、先住民の人質を取ろうとしたところ、クックの精神状態の悪さにより失敗。そこでゴタゴタが勃発、先住民に攻撃をしかけられてしまいます。そこでクックは石で頭を殴打され死亡。遺体は先住民に持ち去られてしまいました。

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キャプテン・クックによる壊血病の予防策

Cavolo salato.jpg
By Kagor at the Ukrainian language Wikipedia, CC BY-SA 3.0, Link

キャプテン・クックは、さまざまな地にヨーロッパ人として初めて到達したことでも知られていますが、医学の進歩にも多大な貢献をしました。それが当時の船乗りを苦しめていた壊血病の予防方法を発見したことです。

壊血病で亡くなる船乗りが続出

大航海時代、たくさんの船乗りたちが未踏の地を求めて大海原にでました。長旅のなかで起こった病気が壊血病。血管がもろくなり、目や口、皮膚から血が出てきて、最後には命を落とすという病気です。大航海時代、100 万人以上がこの病気で命を落としました。

現在はビタミン不足と判明していますが、当時の壊血病は原因不明の病気でした。強い異臭を放つ不衛生さがあり、幻覚が見えるなど精神の不調も伴います。一回の航海で、船員の半分以上が壊血病で亡くなることも珍しいことではありませんでした。

野菜を使った食事で予防につなげる

キャプテン・クックも、他の航海者と同じように、壊血病をどうすれば予防できるのか考えます。そこで、壊血病に効くと思われるさまざまな食材を船に乗せて実験。そこで、キャベツをゆでてお酢につけたザワークラウトが予防につながることを発見します。

当時のヨーロッパでは野菜を積極的に食べる習慣がありません。そのため船員たちもザワークラウトを食べるのを嫌がります。そこでクックは自らそれを積極的に食べるように。それを見てみんなが食べるようになり、壊血病を一人も出さずに航海を終えることに成功しました。

キャプテン・クックは大航海の食事を変えた

キャプテン・クックがザワークラウトを使って壊血病の予防に成功したことから、その後の船乗りの食事は一気に変わります。乗船中、キャベツをバリバリかじる姿も見られるようになりました。また、イギリス海軍では、キャベツに加えてライムをかじることも習慣化。ずっとライムをかじっていることからイギリス水兵を「ライミー」と呼ぶ習慣も。悲惨な最期をとげたキャプテン・クックですが、海に対する強い憧れと豊富な知識は、その後も多くの弟子に引き継がれていきます。

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イギリスヨーロッパの歴史世界史

「キャプテン クック」って誰?大航海の食事を変えた?元大学教員が5分でわかりやすく解説

キャプテン・クックとは、大航海時代に活躍したイギリスの海軍士官。太平洋の航海を3回おこない、ニュージランドやオーストラリアなどオセアニアの周辺の地図の作製や南極大陸の情報の獲得に成功した。キャプテン・クックの功績はいろいろありますが、もっとも有名なのが壊血病を出さずに航海する方法を発見したことでしょう。

それじゃ、英国を代表する航海者キャプテン・クックに関連する出来事を、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカ文化と歴史が専門の元大学教員。大航海時代の食事事情に興味があり調べていたところ、壊血病の問題を解決した立役者としてキャプテン・クックに遭遇。キャプテン・クックはどんな人だったのか気になったので調べてみた。

キャプテン・クックとはどんな人物?

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キャプテン・クックの本名はジェームズ・クック。1728年生まれのイギリス人です。日本ではクック船長と呼ばれることもあるでしょう。海軍士官、海洋探検家、海図製作者、博物学者、作家など、さまざまな顔を持っていました。

商売人を目指して奉公人からスタート

キャプテン・クックはスコットランド人の父母のあいだに生まれ、13歳から父と一緒に農場で働き始めます。16歳になったクックは、親元を離れて漁村にある雑貨店で奉公生活を開始。商売人としてのキャリアをスタートさせます。

しかしながらクックの関心は商売にはまったくなく、彼の目の先にあるのが海。彼が商売に向かないことに気が付いた店主が、港町の船主にクックを紹介します。それをきっかけにクックは石炭運搬船団の見習い船員として働くようになりました。

操船に必要な知識をたくわえたクック

雑貨屋の奉公中はまったくやる気がなかったクック。見習い船員として働くなか、操船に必要な知識や技術をめきめきと身に付けていきます。代数学、三角測量法、航海術、天文学などの知識を備えていき、将来のキャリアに備えていきました。

クックが見習い船員として働いたのはわずか3年間。見習い期間が終わったあとクックは、船乗りとしてのさらなるキャリアアップを目指して、バルト海を往来する貿易船で働くようになります。そこで船乗りとしての頭角をあらわしたクックは、貿易船の航海士に昇進するまでになりました。

イギリス海軍で働き始めたキャプテン・クック

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貿易船では航海士として一気に昇進を果たしたものの、クックはさらに上を目指していきます。一か月もたたないうちにクックは転職を決意。貿易船での昇進を捨ててイギリスの海軍に水兵として志願、入隊を果たします。

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