「嘲る」の使い方や例文
まずは「嘲る」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。
1.つまづいた私を見て、嘲るように笑った彼女に対して嫌悪の情が沸いた。
2.貧相な身なりの女を嘲た富裕層な男たちに品格は感じられなかった
3.受験に失敗した兄は、「ほらやっぱり俺には才能がなかったんだ」と自らを嘲るような笑みを浮かべた。
「嘲る」という言葉が馬鹿にする・軽蔑した態度を見せると説明しました。馬鹿にするというのは基本的にある人物や集団が他の対象に対して行うものです。例文1と例文2ではある人物や集団が他人を「見下す・軽蔑する」というように他の対象に向けて「嘲る」という言葉が使われていました。しかし、例文3においては受験に失敗した兄が自分の失敗を自分で馬鹿にするというシチュエーションで用いました。このように「嘲る」という言葉は他者に向けてだけでなく自分に対しても使われます。この自分を嘲るという言葉を熟語にすると「自嘲」という言葉になり、「自嘲めいた笑いを浮かべた」などというふうに様々な文章で用いられているのをご存じの方も多いのではないでしょうか。
一般的に自分に対して「嘲る」という行動をする人は、ナイーブでネガティブな性格の人が多いような気がします。自分を自分で小ばかに「失敗した自分の自尊心を保ちたい」という思いや、「うまくいかなかった時のために予防線を張っておきたい」という思いがあるのかもしれません。
また、例文1の「嘲るように笑った」と例文の3「嘲るような笑みを浮かべた」のように「嘲る」という言葉は笑うという言葉とよく一緒に使われます。この笑い時の笑いは口を開けておおらかに笑うのではなく、「鼻で笑う」というように、どことなく皮肉屋な印象を与える笑い方。このような小ばかにするような笑いのことを「嘲笑」といいます。
「蔑む」「見くびる」
「嘲る」と似たような意味を持つ言葉として「蔑む」「見下す」が挙げられます。
「蔑む」は「嘲る」と同じように馬鹿にし、見下すという意味です。しかし「嘲る」が馬鹿にした様子を表情や行動で表に出す時に使われるのに対し、「蔑む」は馬鹿にした気持ちを表に出さず、心の中で留める場合でも用いられます。
「見くびる」は相手を軽くみるという意味です。失敗した者や地位が下の者を馬鹿にするというニュアンスのある「嘲る」と違い、「見くびる」には馬鹿にするという意識は薄く、実力や立場の劣った対象を自分よりも単純に下に見て軽視する時に使われます。また、「自嘲」のように自分を馬鹿にする際にも用いられる「嘲る」と違い「見くびる」は自分とは別の相手に対して使うことが多く、自分に用いることはあまりありません。
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