今回のテーマは「キャベンディッシュ」。

キャベンディッシュは18世紀のヨーロッパで主に気体の研究を行っていた化学者で、プリーストリやシェーレ、ラボアジエと同じ時代を生きた人物です。

そんな彼の人生と業績について国立大学の理系出身で環境科学を学び、学生時代世界史も得意だったライターNaohiroと一緒に解説していきます。

ライター/Naohiro

国立大学の理系出身で環境科学を専攻していた。学生時代は世界史も得意で、特にキャベンディッシュの生きた近世ヨーロッパ史にも詳しい。

1. キャベンディッシュとは誰?何をした人?

Cavendish Henry signature.jpg
George Wilson - Frontispiece of The Life of the Hon. Henry Cavendish, パブリック・ドメイン, リンクによる

ヘンリー・キャベンディッシュ(Henry Cavendish、1731~1810)はフランス・ニース生まれのイギリス人化学者・物理学者です。

生前は18編ほどの論文を発表にしたに過ぎませんが、キャベンディッシュの死後膨大な遺稿が発見され物理学においても広範囲にわたる問題を理論的、実験的に手がけていたことが分かりました。彼の主な業績として化学分野では水素やアルゴンの発見を始めとする気体の研究水の合成実験地球の密度を測定する実験などが挙げられます。

様々な業績を残したキャベンディッシュですが、実は極度の人間嫌いとしてとても有名な人物でした。本記事では彼の業績を様々なエピソードを交えて解していきたいと思います。

1-1. ヘンリー・キャベンディッシュの生い立ち

image by iStockphoto

キャベンディッシュは前述の通りフランス生まれのイギリス人です。なぜイギリス人なのにフランス生まれなのかというと、キャベンディッシュの母が1731年彼が生まれた当時フランス南東部に位置するニースという都市で療養をしていたことが理由になります。彼の母はその2年後、1733年に亡くなってしまいました。

両親ともにイギリスの名門貴族の出身で、父は王立協会の会員として物理、特に電気に関する研究者でした。キャベンディッシュ自身も1749年にケンブリッジ大学に入学し後に退学するものの家の実験室で研究を続け1760年に王立協会の会員となっています。

そんなキャベンディッシュでしたが1783年に彼の父が亡くなった後、伯母の遺産と併せて当時のイングランド銀行における最大の株主となる程の莫大な遺産を持つこととなりました。しかしながらキャベンディッシュは金銭に関心が無く、その後も彼は研究に没頭し続けることとなったのです。

1-2. キャベンディッシュにまつわる逸話

image by iStockphoto

そしてキャベンディッシュに関してはとても風変わりで神経質、内気で人間嫌いであったという逸話が数多く残されています

人目を引くような服装は徹底的に避け古いタイプの服装を着て過ごし、当時「彼の人生最大の目的は人の目を引かないことである」と噂されるほどでした。そしてとても女性が苦手で、一度メイドさんと階段ですれ違ったことが原因で女性専用の階段を作らせたり、目が合ったもしくは何度か廊下ですれ違ったという理由で解雇するということもあったのです。生涯独身を貫きました。

そしてキャベンディッシュの肖像画は現在大英博物館にある1枚しか残っていません。彼が唯一顔を出していた王立協会の集まりにアレクサンダーという画家が頼み込み出席させてもらい、密かにキャベンディッシュの姿をスケッチしたのです。彼が肖像画を残さなければキャベンディッシュの姿は後世に残らなかったかもしれませんね。

1-3. キャベンディッシュが生きた時代

image by iStockphoto

そんなキャベンディッシュが生きた18世紀は気体に関する研究が急激に進んだ時代でした。18世紀を代表する化学者達を以下に挙げてみます。

ゲオルク・エルンスト・シュタール(Georg Ernst Stahl、1660-1734)
  ドイツ人化学者・医師。
  フロギストン説(熱素説)を発展。

ジョセフ・プリーストリー(Joseph Priestley、1733-1804)
  イギリス人牧師・化学者。
  酸素を含む数多くの気体を遊離・確認。

カール・ヴィルヘルム・シェーレ(Karl Wilhelm Scheele、1742-1786)
 →スウェーデン生まれの化学者・薬学者。
  酸素他多数の元素、有機酸、無機酸を発見。

アントワーヌ=ローラン・ド・ラボアジエ(Antoine-Laurent de Lavoisier、1743-1794)
 →フランス人化学者。近代化学の父。
  33元素の提唱。フロギストン説の打破。質量保存の法則を発見。

\次のページで「2. キャベンディッシュの業績」を解説!/

18世紀はシュタールのフロギストン説の提唱に始まりキャベンディッシュプリーストリーシェーレ、そしてラボアジエ達によって気体研究が飛躍的な進化を遂げた時代なのです。

2. キャベンディッシュの業績

キャベンディッシュの生前の大きな業績としては水素の発見水の合成、そして地球の密度の測定が挙げられます。それぞれ見ていってみましょう。

2-1. 水素の発見

Cavendish hydrogen.jpg
Henry Cavendish - Philosophical Transactions (periodical), パブリック・ドメイン, リンクによる

キャベンディッシュが化学分野で残した業績としてまず最初に挙げられるのが水素の発見でしょう。1776年に物質として水素の存在を証明した最初の論文を発表し、イギリス王立協会からコプリ・メダルを授与されました。

その内容は金属に塩酸をかけるとどうなるのかという反応を見るものでした。これはスコットランドの化学者ジョゼフ・ブラックが石灰石に塩酸をかけて二酸化炭素の発生を確認した実験からインスピレーションを得たものになります。

実際には塩酸(HCl)に鉄(Fe)、亜鉛(Zn)、スズ(Sn)等の金属を浸した際に発生する気体を、写真のように水上置換法で捕集しました。この気体が空気の11分の1(実際には14.4分の1)の重さしかなく、可燃性であることから可燃性空気(Inflammable Air)と名付けたのです。これが「水素」が初めて発見された瞬間でした。

2-2. 水の合成

2-2. 水の合成

image by Study-Z編集部

ジョセフ・プリーストリーは1781年に水素を空気に混ぜて爆発させると容器が湿ることに気が付きました。これを知ったキャベンディッシュも自らも実験を行い、その結果気体の体積が5分の1減少する(酸素が水になった)ことを1784年に発表しました。

キャベンディッシュはまだカロリック(熱素)という元素があるというフロギストン説(熱素説)から脱却できておらず、その立場からの説明となりましたが水が水素と酸素からなる化合物であるということが判明したのは非常に大きな発見でした。

2-3. 地球の密度の測定

Cavendish Experiment.png
Henry Cavendish - Cavendish,H.(1798), 'Experiments to determine the Density of the Earth' in McKenzie, A.S. ed. Scientific Memoirs Vol.9: The Laws of Gravitation, American Book Co. 1900, p.62 on Google Books., パブリック・ドメイン, リンクによる

最後に物理学の話になりますが、キャベンディッシュの実験についての話をしましょう。これは1797年から1798年にかけて行われた実験で囲い小屋からプーリーで回転できるようになっている157.85kgの大きな鉛球2つを吊り下げ、木製のねじり天秤に0.730kgの小さな鉛球2つを吊り下げることでワイヤーのトルクと小さい方の鉛球の質量をはかることで地球の密度を測定するというものです。

その結果地球の密度は水の密度の5.448±0.033倍という結論に達したわけですが現在地球の密度は5.52g/cm3と計算されていますので、当時高い精度で地球の密度を測定していたことになりますね。

\次のページで「3. 数多く残された未発表業績」を解説!/

3. 数多く残された未発表業績

Cavendish-plaque retouch b.jpg
en:User:William M. Connolley - en:File:Cavendish-plaque retouch b.jpg, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

生前は18編の発表に留まったキャベンディッシュですが実は彼の死後、遺稿から数多くの発見をしていたことが明らかになります。

最初に発見されたのは死後約20年後の1839年、イギリス科学振興協会の創設者の1人であり当時会長であったウィリアム・ハーコート(William Venables-Vernon Harcourt、1789-1871)が1779年までにおこなった蒸気圧の測定1780年までにおこなった気体の熱膨張率の測定。これらはそれぞれジョン・ドルトン、ゲイ=リュサックが1800年以降に発表したものでした。

次に大きな発見が行われたのが1871年、ケンブリッジ大学に物理学研究所として「キャベンディッシュ研究所」が創設された際の初代所長であり、古典電磁気学を確立したことで有名なジェームズ・クラーク・マクスウェル(James Clerk Maxwell、1831-1879)が1772年にクーロンの法則を、1781年にオームの法則を発見していたことを突き止めました。これらもなんとシャルル・ド・クーロンとゲオルク・オームがそれぞれ発表を行うよりも前に発見されていたのですね。

更にはヒ素や比熱・潜熱の発見等も発表しないまま死後に発見されている等、これほどの業績を発表しないまま人生を終えた人物は後にも先にもキャベンディッシュ唯一人でしょう。

数多くの業績を残した人間嫌いの天才科学者

独特の人間性から様々な逸話を残したキャベンディッシュですが、その化学から物理学に至るまで彼の残した業績はとても大きなものでした。もし彼が行った実験の全てを発表していたら、その後の科学の発展速度はより大きなものとなっていたかもしれません。

そしてキャベンディッシュと同じ時代を生きたプリーストリー、シェーレ、ラボアジエについてもぜひ興味をもって調べてみて下さいね。

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3分で簡単「キャベンディッシュ」!人間嫌いの天才科学者を理系ライターがわかりやすく解説

今回のテーマは「キャベンディッシュ」。

キャベンディッシュは18世紀のヨーロッパで主に気体の研究を行っていた化学者で、プリーストリやシェーレ、ラボアジエと同じ時代を生きた人物です。

そんな彼の人生と業績について国立大学の理系出身で環境科学を学び、学生時代世界史も得意だったライターNaohiroと一緒に解説していきます。

ライター/Naohiro

国立大学の理系出身で環境科学を専攻していた。学生時代は世界史も得意で、特にキャベンディッシュの生きた近世ヨーロッパ史にも詳しい。

1. キャベンディッシュとは誰?何をした人?

Cavendish Henry signature.jpg
George Wilson – Frontispiece of The Life of the Hon. Henry Cavendish, パブリック・ドメイン, リンクによる

ヘンリー・キャベンディッシュ(Henry Cavendish、1731~1810)はフランス・ニース生まれのイギリス人化学者・物理学者です。

生前は18編ほどの論文を発表にしたに過ぎませんが、キャベンディッシュの死後膨大な遺稿が発見され物理学においても広範囲にわたる問題を理論的、実験的に手がけていたことが分かりました。彼の主な業績として化学分野では水素やアルゴンの発見を始めとする気体の研究水の合成実験地球の密度を測定する実験などが挙げられます。

様々な業績を残したキャベンディッシュですが、実は極度の人間嫌いとしてとても有名な人物でした。本記事では彼の業績を様々なエピソードを交えて解していきたいと思います。

1-1. ヘンリー・キャベンディッシュの生い立ち

image by iStockphoto

キャベンディッシュは前述の通りフランス生まれのイギリス人です。なぜイギリス人なのにフランス生まれなのかというと、キャベンディッシュの母が1731年彼が生まれた当時フランス南東部に位置するニースという都市で療養をしていたことが理由になります。彼の母はその2年後、1733年に亡くなってしまいました。

両親ともにイギリスの名門貴族の出身で、父は王立協会の会員として物理、特に電気に関する研究者でした。キャベンディッシュ自身も1749年にケンブリッジ大学に入学し後に退学するものの家の実験室で研究を続け1760年に王立協会の会員となっています。

そんなキャベンディッシュでしたが1783年に彼の父が亡くなった後、伯母の遺産と併せて当時のイングランド銀行における最大の株主となる程の莫大な遺産を持つこととなりました。しかしながらキャベンディッシュは金銭に関心が無く、その後も彼は研究に没頭し続けることとなったのです。

1-2. キャベンディッシュにまつわる逸話

image by iStockphoto

そしてキャベンディッシュに関してはとても風変わりで神経質、内気で人間嫌いであったという逸話が数多く残されています

人目を引くような服装は徹底的に避け古いタイプの服装を着て過ごし、当時「彼の人生最大の目的は人の目を引かないことである」と噂されるほどでした。そしてとても女性が苦手で、一度メイドさんと階段ですれ違ったことが原因で女性専用の階段を作らせたり、目が合ったもしくは何度か廊下ですれ違ったという理由で解雇するということもあったのです。生涯独身を貫きました。

そしてキャベンディッシュの肖像画は現在大英博物館にある1枚しか残っていません。彼が唯一顔を出していた王立協会の集まりにアレクサンダーという画家が頼み込み出席させてもらい、密かにキャベンディッシュの姿をスケッチしたのです。彼が肖像画を残さなければキャベンディッシュの姿は後世に残らなかったかもしれませんね。

1-3. キャベンディッシュが生きた時代

image by iStockphoto

そんなキャベンディッシュが生きた18世紀は気体に関する研究が急激に進んだ時代でした。18世紀を代表する化学者達を以下に挙げてみます。

ゲオルク・エルンスト・シュタール(Georg Ernst Stahl、1660-1734)
  ドイツ人化学者・医師。
  フロギストン説(熱素説)を発展。

ジョセフ・プリーストリー(Joseph Priestley、1733-1804)
  イギリス人牧師・化学者。
  酸素を含む数多くの気体を遊離・確認。

カール・ヴィルヘルム・シェーレ(Karl Wilhelm Scheele、1742-1786)
 →スウェーデン生まれの化学者・薬学者。
  酸素他多数の元素、有機酸、無機酸を発見。

アントワーヌ=ローラン・ド・ラボアジエ(Antoine-Laurent de Lavoisier、1743-1794)
 →フランス人化学者。近代化学の父。
  33元素の提唱。フロギストン説の打破。質量保存の法則を発見。

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