1-1. 17世紀の酸・塩基:ロバート・ボイル
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酸と塩基を感覚的なものではなく、初めて化学的なアプローチで定義したのはアイルランド出身のイギリス人化学者ロバート・ボイル(Robert Boyle、1627-1691)です。1662年に温度一定の条件下において気体の体積と圧力が反比例にある(例えば体積を半分にするためには2倍の圧力が必要である)ことを表現した、ボイルの法則を示した物理学者としても有名な人ですよね。
彼は1664年色に関する実験と考察という論文でそれまでに分かっている全ての酸が植物性の青色色素(リトマス)やスミレ花汁を赤く変え、アルカリはそれらを青色や緑色に変化させることに気が付きました。そこから植物色素を赤くするものが酸で青もしくは緑色にするものがアルカリである、という定義を与えることになったのです。
小学生のときに理科で学ぶ酸とアルカリの話は、17世紀の研究がもとになっているのですね。
1-2. 18世紀の酸・塩基:ラボアジエ
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18世紀、化学が原子・分子論的な観点から飛躍的な進歩を遂げたこの世紀に酸・塩基の定義の歴史を語るうえで外せないのが、フランス人で「近代化学の父」とも呼ばれるアントワーヌ=ローラン・ド・ラボアジエ(Antoine-Laurent de Lavoisier、1743-1794)です。
18世紀ラボアジエは、炭素や窒素、リン、硫黄等が燃焼した後に発生する二酸化炭素(CO2)や二酸化窒素(NO2)、十酸化四リン(P4O10) 、二酸化硫黄(SO2)等の水溶液が全て酸性を示していたことから酸素を含むものが全て酸になると結論付けました。ただこれは例えば酸化ナトリウム(Na2O)、酸化カリウム(K2O)、酸化カルシウム(CaO)等の水溶液が塩基性を示すことに加えて塩化水素(HCl)とその水溶液は酸素を含まないにも関わらず酸性を示すことから間違いであることが分かりますよね。
ちなみにラボアジエは酸素(オキシジェーヌ、oxygène)の名付け親で、酸素が酸の基であると考えたことに起因しています。その後酸の原因が何なのかについて研究が進められていくことになるのです。
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1-3. 19世紀前半:リービッヒ
ラボアジエに続く19世紀初頭、酸素による酸の定義付けに関する矛盾に気付き新たな酸の定義を行った人がいました。その人の名はユストゥス・フォン・リービッヒ(Justus Freiherr von Liebig、1803-1873)。ドイツ人科学者で、筒を二重にしたリービッヒ冷却管の発明者であり、有機化学の確立に大きな貢献を残した人です。
リービッヒは、有機酸の研究を行う中で酸の水素が金属で置換されることで酸性がなくなったり弱くなったりすることから「金属元素で置換される水素がある化合物」として、酸性は水素によってもたらされるという酸のプロトン説を初めて提唱しました。
そこから酸・塩基に関する化学は大きな進歩を遂げていくこととなります。
2. スヴァンテ・アウグスト・アレーニウス
Photogravure Meisenbach Riffarth & Co. Leipzig. – Zeitschrift für Physikalische Chemie, Band 69, 1909., パブリック・ドメイン, リンクによる
スヴァンテ・アウグスト・アレーニウス(Svante August Arrhenius、1859-1927)はスウェーデン人化学者で、物理化学と呼ばれる分野の第一人者であり1884年に酸・塩基の定義、1887年に電離説を発表した他、化学反応速度を求めるアレニウスの式にも名前が残っています。
1903年にノーベル化学賞を受賞しており、これはファントホッフ、フィッシャーに続く3人目の受賞です。
2-1. アレーニウスの定義
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アレーニウスは前述した通りスウェーデンの化学者で、1884年に酸・塩基に関する定義、アレーニウスの定義を発表しました。
水溶液中で水素イオンH+を出す物質を酸、OH–を放出する物質を塩基とするというのがアレーニウスの定義です。詳しく見ていってみましょう。
ちなみにここで水素イオンH+というのはオキソニウムイオンH3O+を意味します。水溶液中に水素イオンH+は単独で存在できないからです。
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