生き物の体を顕微鏡で拡大して見ると、小さな部屋のようなものがたくさん見えてくるんです。この部屋の1つ1つが細胞と呼ばれるもので、人間の場合はなんと60兆個の細胞から構成されているんです。今からもっと昔は顕微鏡がなかったからもちろん細胞の存在は知られていなかった。
今回はそんな時代から細胞が発見されて、細胞説が確立されるまでを、生物に詳しいライターオリビンと一緒に解説していきます。

ライター/オリビン

医学部の研究室で実験助手を務めている。毎日細胞の培養やDNAの抽出を行っているため、生化学の知識は人一倍。

細胞が発見されるまでの歴史

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1950年、オランダのみっでルブルクでメガネ職人をしていたハンス・ヤンセンとその息子であるツァハリアスは2枚のレンズを組み合わせることで複式顕微鏡を作成しました。当時の顕微鏡はあまり性能が良くなかったため、科学のための実験器具というよりはおもちゃのような扱いだったそうです。そんな顕微鏡の初号機を一気に超えるような革新的な顕微鏡を作ったのがイギリスのロバート・フックとレーウェン・フックでした。

性能のいい顕微鏡の誕生と細胞の発見

ロバート・フックは複式顕微鏡を改良し、動植物を観察しました。絵心のあったロバート・フックは観察したノミやシラミを繊細なタッチでスケッチし、本にまとめたのです。そのとき執筆した書籍が『Micrographia』でした。この本のなかで顕微鏡で見たコルクのスケッチがありました。

コルクは多数の小さな部屋からできており、ロバート・フックはその部屋についてcell(細胞)と名付けたのです。また、同じ本のなかで「コルクの細胞は死んでいるため穴が空いているが、生きている細胞であれば液で満たされている」とも述べています。フックは細胞という名付け親にはなりましたが、細胞が生物の基本単位になっているとまでは考えていなかったそうです。

レーウェンフックと顕微鏡

オランダのレーウェンフックは単レンズからなる単レンズ顕微鏡を制作し、原生生物や細菌、藻類などを観察しました。単レンズ顕微鏡は複式顕微鏡よりも性能が良かったため、微生物をより細かく観察できたのです。そのおかげでレーウェンフックは生物学において大量の新発見をしました。

細胞核の発見

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イギリスの植物学者であるロバート・ブラウンは植物細胞の中に小さくて黒ずんだものがあることに気づきました。ブラウンはそれを核(nucleus)と名付けたのです。nucleusは木の実という意味を持っています。その後ブラウンは植物細胞の全てに核が存在していることを確認したそうです。

核はDNAと呼ばれる遺伝子を含む生物の重要な情報が保管されている大切な器官なんですよ。

\次のページで「生物体を物理学で解明しようとする動きへ」を解説!/

生物体を物理学で解明しようとする動きへ

18世紀ごろになると顕微鏡を使った生物の研究のスピードは落ち込んでしまいました。その代わり、物理学や化学の観点から生命現象を解明しようとする活動が盛んになったそうです。しかし、17世紀にロバート・フックがスケッチしたコルクの絵から生物体の基本単位は細胞ではないかという説が再び再燃し、細胞についての検証が始まりました。

すべての生物は細胞からできている

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ドイツのマティアス・ヤーコプ・シュライデンは「核が細胞へ成長する」と誤っている説を提唱。シュライデンと同じフンボルト大学で研究していたテオドール・シュワンはこれを聞いてすぐに動物細胞を調べ始めたそうです。シュワンは植物細胞と動物細胞では異なっていること、血液では赤血球などの細胞が遊離していること、卵は巨大な1つの細胞であることなどを発見しました。

シュライデンも引き続き細胞の観察をすることで「あらゆる生物は細胞から成り立っている」と提唱しました。その後、テオドール・シュワンとも意見が一致し、1838年『植物発生論』で「植物は独立した細胞の集合体である」と唱えたのです。シュワンも1839年に『動物及び植物の構造と成長の一致に関する顕微鏡的研究』で動物の細胞説を提唱しました。

発生学への影響

スイスの解剖学者であるルドルフ・アルベルト・フォン・ケリカーは顕微鏡を使った多くの研究を行ってきました。特に無脊椎動物の発生に関して秀でており、彼の海洋生物(クラゲなど)の論文は世界中から注目されていたそうです。両生類や哺乳類の胚についても盛んに研究し、発生学の進歩に大きく貢献しました。ケリカーがこのように研究を成功させられたのは、顕微鏡の精度が向上したことと細胞説の発見のおかげとも言えます。

全ての細胞は細胞から生じる

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ケリカーに影響されたドイツのルードルフ・ルートヴィヒ・カール・フィルヒョーはこれまでの細胞に関する研究をまとめ、「すべての細胞は細胞から生じる(omnis cellula e cellula)」と唱えました。しかし、細胞が2つに分裂した際に2つの細胞に核があることから核が分裂しそこから細胞が生じているのではないかという疑問を完全に消すことができなかったそうです。その後、他の研究者によって核が分裂する様子が詳細に観察できたため、問題は解決しました。

詳細な細胞分裂が観察可能に

詳細な細胞分裂が観察可能に

image by Study-Z編集部

1882年にヴァルター・フレミングは細胞分裂の詳細な記録を発表しました。フレミングが観察したものは有糸分裂といって、核(の中の染色体)が分裂する様子です。フレミングはユリの細胞分裂とサンショウウオの細胞分裂を比較し、体細胞分裂はひとつの連続したプロセスであることを見出しました。また、紡錘糸や紡錘体についても注目し様々な角度から細胞を観察したことでより詳細なデータを得られたのです。

細胞内共生説

1970年、アメリカの生物学者リン・マーギュリスは真核生物細胞の期限に関する仮説「細胞内共生説」を提唱しました。真核生物の細胞内にはミトコンドリアや葉緑体といった細胞小器官があるのをご存知でしょうか。これらの細胞小器官は好気性生物や藍藻などの他の細胞に由来するのではないかという考え方です。例えばミトコンドリアは好気性生物の最近が細胞内共存によって与えられたもの、スピロヘータが細胞表面に共生することにより鞭毛となり、その後中心帯が生じたという仮説が立てられています。細胞共生説については細胞説の議論が行われている時代には考えられておらず、最近の考え方です。細胞の起源についてこれからどんな仮説が登場していくのか楽しみですね。

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細胞説の確立がもたらした影響を調べてみよう

顕微鏡でコルクを観察することでフックは細胞を発見しました。このことに影響を受けたレーウェンフックはさらに精度のいい顕微鏡を作成することで、生物学において大量の発見をしていったのです。ロバート・ブラウンが細胞核を発見してからさらに研究は進み、シュワンとシュライデンは生物の基本単位が細胞であることを提唱しました。また、フィルヒョーは細胞は細胞から生じることを発見し、その後発生学や病理学に大きな影響を与えたのです。

ここで解説した以上に細胞説のおかげで発展した学問はたくさんあります。遺伝子組み換え技術も細胞説が提唱されたおかげで発展したものと言えるでしょう。私達の生活レベルが高くなったのも細胞説のおかげかも知れませんね。

イラスト使用元:いらすとや

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理科生物細胞・生殖・遺伝

3分で簡単細胞説の歴史!細胞発見から細胞説が確立されるまでを医学部研究室実験助手がわかりやすく解説

生き物の体を顕微鏡で拡大して見ると、小さな部屋のようなものがたくさん見えてくるんです。この部屋の1つ1つが細胞と呼ばれるもので、人間の場合はなんと60兆個の細胞から構成されているんです。今からもっと昔は顕微鏡がなかったからもちろん細胞の存在は知られていなかった。
今回はそんな時代から細胞が発見されて、細胞説が確立されるまでを、生物に詳しいライターオリビンと一緒に解説していきます。

ライター/オリビン

医学部の研究室で実験助手を務めている。毎日細胞の培養やDNAの抽出を行っているため、生化学の知識は人一倍。

細胞が発見されるまでの歴史

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1950年、オランダのみっでルブルクでメガネ職人をしていたハンス・ヤンセンとその息子であるツァハリアスは2枚のレンズを組み合わせることで複式顕微鏡を作成しました。当時の顕微鏡はあまり性能が良くなかったため、科学のための実験器具というよりはおもちゃのような扱いだったそうです。そんな顕微鏡の初号機を一気に超えるような革新的な顕微鏡を作ったのがイギリスのロバート・フックとレーウェン・フックでした。

性能のいい顕微鏡の誕生と細胞の発見

ロバート・フックは複式顕微鏡を改良し、動植物を観察しました。絵心のあったロバート・フックは観察したノミやシラミを繊細なタッチでスケッチし、本にまとめたのです。そのとき執筆した書籍が『Micrographia』でした。この本のなかで顕微鏡で見たコルクのスケッチがありました。

コルクは多数の小さな部屋からできており、ロバート・フックはその部屋についてcell(細胞)と名付けたのです。また、同じ本のなかで「コルクの細胞は死んでいるため穴が空いているが、生きている細胞であれば液で満たされている」とも述べています。フックは細胞という名付け親にはなりましたが、細胞が生物の基本単位になっているとまでは考えていなかったそうです。

レーウェンフックと顕微鏡

オランダのレーウェンフックは単レンズからなる単レンズ顕微鏡を制作し、原生生物や細菌、藻類などを観察しました。単レンズ顕微鏡は複式顕微鏡よりも性能が良かったため、微生物をより細かく観察できたのです。そのおかげでレーウェンフックは生物学において大量の新発見をしました。

細胞核の発見

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イギリスの植物学者であるロバート・ブラウンは植物細胞の中に小さくて黒ずんだものがあることに気づきました。ブラウンはそれを核(nucleus)と名付けたのです。nucleusは木の実という意味を持っています。その後ブラウンは植物細胞の全てに核が存在していることを確認したそうです。

核はDNAと呼ばれる遺伝子を含む生物の重要な情報が保管されている大切な器官なんですよ。

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