
1.泣いても笑ってもこれが学生生活最後の試合だ。前年の悔しさをバネに努力してきた自分たちを信じて全力を出し切ろう。
2.今回の駅伝で最長区間を任された。先輩・同期・後輩たちの待つゴールに先頭で飛び込むまで、泣いても笑っても残り1km!
3.どちらが最後のプリンを食べるか。泣いても笑っても、じゃんけん一発勝負で決めよう!
先ほど述べたように、「泣いても笑っても」という表現は得てして物事の最終局面を表すのによく使われる表現です。1と2はそれまで続いてきた状況の最終局面にあたり、気持ちの高まりがこみ上げる思いが如実に伝わってきます。
例文1の場面を想像してみましょう。最後の試合に臨む直前、選手の士気を高めるために監督やコーチ、あるいは仲間同士で鼓舞し合うような用途で使われているのではないでしょうか。それに対して2の例文、こちらはすでに競技(物事)がスタートしており、フィニッシュ目前、最後のひと踏ん張りが欲しいときにやはり選手(当事者)を奮い立たせるためのポジティブな表現としてかけられる言葉ですね。
例文3は少しテイストが異なりますね。これまで継続してきたものの最終局面ではなく、一回きりということを示すための表現です。「最初で最後」ともいえるかもしれませんね。いずれの例文においても、その瞬間に置かれている状況から最良の結果を得るぞ!という、ある種の決意表明のような手に汗握る場面を想像することができそうです。
「否が応でも」
「否が応でもこれが最後の試合だ。」
否→承知しない・拒否する
応→了承する・応じる
そのいずれの場合でもこれから起こる出来事を受け入れなければならない、という表現です。「泣いても笑っても」に比べるとポジティブな声掛けというよりは逃れられない、という本来の「どのようにしてみても」という意味合いが色濃く出ています。
「兎にも角にも」
「兎にも角にも、明日の合格発表を待つのみだ。」
「とにかく」に兎(うさぎ)と角(つの)の字を当てた表現です。ご存じの通り、うさぎには角はありませんよね。このように実際にはあり得ないものの比喩表現で用いられます。
元は仏教語の「兎角亀毛」(うさぎに角がないように亀に毛は生えていません。)で、あの夏目漱石が好んで用いたことで世に広まった表現だと言われております。この世に起こりえないことを引き合いに出して「いずれにしても」という意味を成す言葉です。「泣いても笑っても」がこれからの事柄に向けた表現とするのであれば、どちらかというとここまでを振り返る印象を与える表現と言えます。
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