中国の有名な思想家が儒教を確立した孔子。対立的に位置づけられているのが道家の創始者である老子です。ありのままの生き方を重んじる老子の考えは、現代の哲学者のみならず、すべての日本人のライフスタイルに多くの影響を与えてきた。

古代中国の春秋戦国時代に老子が提唱したタオイズムがどのような意味を持ったのか、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカ文化を専門とする元大学教員。老子が唱えたタオの道とは、自然さらには宇宙の流れに身をまかせる壮大なもの。自分自身のあり方や幸せをさまざまに考え直すきっかけになった。そこで老子の思想で実践できそうな点を考えてみた。

老子とはどのような人物?

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Unknown (photo: Felix Andrews (Floybix)). - Gray Goat Temple (Qingyanggong), Chengdu, Sichuan, China. (photo: own work), パブリック・ドメイン, リンクによる

中国の思想史を学ぶときに必ず登場するのが老子。道家が確立したあと、創始者として神格化されたものの、本当に実在するのか不明な点も多く、謎が多い人物でもあります。

河南省で生まれたとされる老子

老子という名前は尊称であり、本名は李耳(リ・ジ)。中国の河南省で生まれたと言われています。若いころの職業は古代王朝のひとつである周の書庫の書記官。そのような記述があるものの、本当かどうかは定かではありません。

儒学の創始者である孔子が老子に教えを請いに出向いたという記述から、孔子より年上という可能性大。晩年に老子が周を去るとき、教えを受けた関所の役人がまとめたものが『老子道徳経』として後世に伝わりました。

実在が不詳のまま神格化される

現在も議論されているのが本当に老子が実在するのかという点。本来は、孔子のように、名前と「子」をセットにする呼び名が一般的です。老子の本名は李耳。そのため李子と呼ばれるはずですが、そうではありません。

老というのは「昔の人」という意味で抽象的。生まれた場所も河南省ではなく江蘇省という説もあります。老子は星占家である、秘術家であるという説もあり、なかには200歳まで生きたというものまでありました。

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老子の同時代の哲学者たち

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Thanato - 自己的作品CC BY-SA 3.0链接

老子は春秋戦国時代の思想家のひとり。この時代は、戦国の世を勝ち抜くために哲学が求められていました。そのため儒教や道教など、のちの中国でメジャーとなる宗教の前身がこの時代に生まれます。

老子は諸子百家のひとり

老子を創始者とする道家は、春秋戦国時代に生まれた諸子百家のひとつです。諸子とは主要な思想家たちのこと。具体的には、孔子や老子のほか、荘子、墨子、孟子などが含まれます。

百家とはさまざまな思想の学派のこと。孔子による儒家、老子による道家、墨子による墨家という具合です。百家という言葉から分かるように、この時代は数えきれないほどの思想の学派が乱立。そのひとりが老子でした。

戦乱を生き残るための思想が必要とされる

春秋戦国時代に数多くの思想や学派が乱立したことにはれっきとした理由があります。時代区分としては、周が都を移してから秦がふたたび中国を統一までの期間。細かい勢力が衝突や分裂を繰り返している混乱期でした。

おもに争っていたのは7つの大国。それぞれが家臣をまとめて武力を高めるための学問的な助言を必要としていました。そこで活躍したのが思想家たち。その内容は、政治、政策、技術、生き方などさまざまでした。

老子を創始者とする道家とは?

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由User:Vmenkov - 自行拍摄CC BY-SA 3.0链接

老子が確立した思想が道家。中国は仏教のイメージが強いと思いますが、実は儒教、仏教、道教と3大宗教が存在します。民間信仰や神仙思想と融合しながら、老子による道家の教えが道教という宗教になりました。

老子と荘子の思想を合わせて道家と呼ぶ

道家の創始者は老子とされていますが、その全体像は老子と荘子の2人の思想を合わせたもの。老子の教えを発展させたのが荘子でした。自然の流れにしたがってありのままに生きる無為自然がふたりの思想の軸となります。

とはいえ両者は完全に同じではありません。老子は国家は不要とする発言をするなど、当時は危険視される政治思想を含んでいました。それに対して荘子は政治から距離を置き、浮世離れているという特徴があります。

儒教が王道となるなか危険視される

孔子を創始者とする儒家は、上下関係を維持する、規律を守る、忠誠心を持つことの大切さを浸透させようとするもの。戦乱の世のなかで孔子の考え方は指導者たちに歓迎されました。

それに対して老子の考えは自分自身の考えを大切にする、自然の流れに身をまかせる、国家は不要というもの。政治的に危険視される要素があったため、老子とされる人物はあまり表に出ませんでした。

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老子が唱えたタオとは?

image by PIXTA / 12470027

タオとは、この世が生まれたときからある世界の根元。私たちが生きている宇宙や地球、人間を含むすべての生物の根本に流れているものです。老子によると人間の理想的な人生とはタオに従って生きること。そうすることで、人間はより自然なかたちで生きることができる考えました。

タオとは形が定まらない流れのこと

タオを漢字にすると道。そのため、「こうあるべき」「こうするべき」など、人間が歩むべき正しい道を示していると思う人もいるでしょう。このように考えてこのように行動すれば正しい道が歩めると教えてくれるのが老子なのでしょうか。

老子が考えるタオとは、そのような道とはまったく逆。タオは、流動的なもので、手に取ることができないものを指しています。手に取ろうとすると形を変える流動性が特徴。言葉で説明できない本質的なもの、「空」や「超越」に近い考えと言われることもあります。

規律に縛られずに生きることを推奨

春秋戦国時代は、政権が定まらない不安定な世の中。戦乱が続くなかで人々は裏切りや反乱を過度に恐れていました。そこで道徳や規律を重んじ、それを浸透させるための方法を求めます。方法の教えを乞うことで、組織や領地を安定させようとしていました。

そこで多くの思想家が規律を重んじる思想を提唱。どうすればそのような組織をつくれるのかを勢力者たちに提案しました。そのような流れを否定したのが老子。規律に縛られず、タオの流れに身をまかせることを提唱しました。当時の思想のなかでは異端な考え方と言えるでしょう。

老子のタオの教えは感性を重視

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由widodo - D:\Photo's\thaysanglawcin.jpg,CC BY-SA 3.0链接

古代中国の思想のベースにあるのが道徳。道徳とは、人間があるべき姿や正しい価値観、守るべき規律を重んじる学問でした。老子は道徳を習得した知識人ではありましたが、そのうえで重視したのが人間がそれぞれ内に持っている感性です。

言葉ほど不確かなものはない

私たちにとって言葉とは当たり前のように存在する表現の手段。それにより他人とコミュニケーションがとれないと、確実なものがなくなった気になり、不安に襲われることでしょう。しかし老子は言葉以上に不確かなものはないと考えました。

老子によると、人間は言葉によりたくさんのことを思いこみ、身動きが取れなくなっています。実際は、言葉から思い浮かべるものは人それぞれ。そのような不確かなものに縛られて生きる必要はないと老子は考えました。

自分自身のうちにある声を大切に

老子が言葉以上に重視するべきとしたのが自分自身のうちにある声です。混乱する時代のなかで、人間は余計な考えにとらわれ過ぎるように。その結果、自分の声に耳を傾けることができないでいると警告しました。

傾けるべきは、世間や組織の声ではなく自分の声。心の声が聞き取れないと、自分がすすむべき道が分からなくなると考えました。心の声を聞き取るためには、タオの流れと一体化することが大事ともしています。

生き延びようとすることを否定した老子

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Rolfmueller - 自己的作品CC BY-SA 3.0链接

春秋戦国時代は勢力の分裂と統合が繰り返された時代。生き延びることが容易ではない時代でした。生き延びるために思想にすがる権力者が多いなか、老子はそれを否定します。

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困難な時代の悪あがきをNGとする

老子の考えは、無理に生き延びようとあがくよりも、ただ生きたほうがいいというもの。地球は生き延びようとせずに、ただそこに存在しているだけ。それと同じように人間も生きればいいと言いました。

これは同時代の権力者の争いを真っ向から否定するもの。生き延びるための思想を提唱するライバルを批判することでもあります。勢力争いそのものが無意味であると言うに等しい思想的に危うい要素を含んでいました。

相手に評価されることを気にしない

人間は生き延びるために相手に評価されようとします。そうすることで上下関係が維持され、組織が安定することは事実。しかしながら、それにより心がかき乱される必要はないと老子は考えます。

老子が大切にするのは、タオの流れに従って自然な状態でただ生きること。相手の評価を気にすると心が混乱。タオの道から外れた、不自然な状態になってしまうと考えました。

老子は人為的なものより自然を重視

image by PIXTA / 69408352

老子がタオの重要性を説くなかで何度も繰り返すのが自然であること。人間は、経験や技術を持つことで、多くのものをつくったり、変化させたりできるようになります。そのような人為的なものは不自然だと老子は考えました。

曲がったものは曲がったままでOK

老子は、曲がったものをまっすぐにしようとする、まっすぐに見せようとすること不自然なことであると表現。具体的には、自分を実際よりもよく見せる、大げさに自慢する、無知なのに知ったかぶりをすることなどです。そのような言動は、ありのままの状態からかけ離れていると考えました。

曲がったものはそのままでOKというのが老子の考え方。無理にまっすぐにしようとしなくていいと説きました。曲がったものを無理にまっすぐにしても評価されません。何事も自慢せず、誰ともくらべず、自分自身と勝負することで、成功できると老子は考えました。

従うべきものはそれぞれのタオ

老子は「どうしたら大物になれるか」とある人から質問されたとき、空気を読まないことが大切だと答えたという逸話があります。老子が考える「空気を読まない」とは自分勝手とは異なるもの。他人を思いやりながらも自分が正しいと信じる道を進むことが「空気を読まない」ことだとしました。

戦乱の世の中、何に従って生きればいいのか分からない人が多数。そのような人々に向けて老子が提案したのが、自分のなかにあるタオに従って生きること。人間が従うべきものは、ひとつの価値観や考え方ではなく、それぞれのなかにあるタオであるとしました。

戦乱の時代の心に響いた老子のタオイズム

老子という思想家は古代中国に存在したとされる半ば伝説上の人物。しかし、春秋戦国時代という政局が不安定なときに、老子のタオイズムが話題となった理由を考えて見ると、当時の人々の心のリアルが見えてきます。戦乱の世だったからこそ、ありのままに生きる、自分の心を大切にするという考え方が響いたのでしょう。

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世界史中国史

道家の思想家「老子」の思想や考え方を元大学教員が5分でわかりやすく解説

中国の有名な思想家が儒教を確立した孔子。対立的に位置づけられているのが道家の創始者である老子です。ありのままの生き方を重んじる老子の考えは、現代の哲学者のみならず、すべての日本人のライフスタイルに多くの影響を与えてきた。

古代中国の春秋戦国時代に老子が提唱したタオイズムがどのような意味を持ったのか、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカ文化を専門とする元大学教員。老子が唱えたタオの道とは、自然さらには宇宙の流れに身をまかせる壮大なもの。自分自身のあり方や幸せをさまざまに考え直すきっかけになった。そこで老子の思想で実践できそうな点を考えてみた。

老子とはどのような人物?

Baby Laozi Qingyanggong Chengdu.jpg
Unknown (photo: Felix Andrews (Floybix)). – Gray Goat Temple (Qingyanggong), Chengdu, Sichuan, China. (photo: own work), パブリック・ドメイン, リンクによる

中国の思想史を学ぶときに必ず登場するのが老子。道家が確立したあと、創始者として神格化されたものの、本当に実在するのか不明な点も多く、謎が多い人物でもあります。

河南省で生まれたとされる老子

老子という名前は尊称であり、本名は李耳(リ・ジ)。中国の河南省で生まれたと言われています。若いころの職業は古代王朝のひとつである周の書庫の書記官。そのような記述があるものの、本当かどうかは定かではありません。

儒学の創始者である孔子が老子に教えを請いに出向いたという記述から、孔子より年上という可能性大。晩年に老子が周を去るとき、教えを受けた関所の役人がまとめたものが『老子道徳経』として後世に伝わりました。

実在が不詳のまま神格化される

現在も議論されているのが本当に老子が実在するのかという点。本来は、孔子のように、名前と「子」をセットにする呼び名が一般的です。老子の本名は李耳。そのため李子と呼ばれるはずですが、そうではありません。

老というのは「昔の人」という意味で抽象的。生まれた場所も河南省ではなく江蘇省という説もあります。老子は星占家である、秘術家であるという説もあり、なかには200歳まで生きたというものまでありました。

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