お昼だったことが被害拡大の要因
関東で地震が発生したのは土曜日の午後。大部分の家庭ではお昼ご飯のために火を使っていました。このとき使用されていたのがかまどと七輪。地震の揺れにより家屋が倒壊したあと、かまどや七輪の火が燃え広がっていきました。
関東大震災の被害者は10万人を越えます。そのうち火災に巻き込まれた人は9万人強。87%に相当すると言われています。とくに延焼が目立ったのが木造住宅の密集地帯。大学や研究所の化学薬品が発火したケースも多々ありました。
台風の接近による強風も影響
地震発生後の火災は強風により拡大した一面もあります。このときの強風の原因は、能登半島あたりに接近していた台風。当時の天気図によると、台風の勢力はそれほど大きくなかったようですが、関東全域に風が吹き荒れていました。
台風の接近による強風に加え、災害時に都市部で起こる火災旋風も被害を広げます。大規模な火災が起きると一気に酸素を消費。それにより竜巻のような現象が起きました。火災旋風により命を落とした被害者も多かったと思われます。
関東大震災のときのメディアの対応
関東大震災のときの主要なメディアは新聞。情報が混乱したこともあり虚報を連発。それにより暴動やパニックが拡大しました。
朝鮮人関連の虚報が目立つ
関東大震災の時期は虚報やデマが広がりましたが、とくに深刻だったのが朝鮮人関連。朝鮮人が暴動を起こしている、不穏な動きを見せているなど報道。それにより、罪がない朝鮮人や、間違われた日本人が被害にあいました。
実際に暴動があったのかは不明。そのため虚報を流したメディアの関係者の一部が免職等になります。政府はメディアに対して朝鮮人関係の報道をしないように取り決めました。
海外に対する発信は無線が活躍
関東大震災後、日本は海外から経済的・救護物資支援を受けます。このとき状況を海外に伝えるときに活躍したのが長波無線。とくに多額の支援をおこなったのがアメリカとは電話はつながらず長波無線によりやりとりしました。
このとき海外と通信できる設備を備えていたのは福島県にある電信局のみ。そこからアメリカに送った情報が、中国で準備中だった電信設備でたまたま受信します。それによりアメリカおよびヨーロッパに情報を伝えられました。
関東大震災後の日本経済
関東大震災が起こったのは第一次世界大戦後。日本は戦争の特需景気だったものの、戦後に欧米諸国がアジア市場に過剰、景気が冷え込んでいきます。そのようななか起こった関東大震災。日本経済は大打撃を受けました。
大量の震災手形が発生
関東大震災後の日本経済を暗転させたもののひとつが震災手形。支払いができなくなった手形について政府は補償する方針を打ち出しました。被災企業や個人の手形の支払い期限を1か月猶予。決済ができなくなることを懸念し、さらなる猶予や補償を認めました。
しかしながら、もともと戦後不況で経営が悪化していた企業の手形も数多く紛れ込む自体に。日本銀行は、最大で1億円の補償する予定でしたが、最終的に4億円を超える金額を補填しなければいけない状況に陥りました。
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