「血となり肉となる」の使い方・例文
「血となり肉となる」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。
1.食べたものは必ず血となり肉となる。だから、好き嫌いはよくないよ。
2.どんなに苦しくて辛くても、この経験は血となり肉となり、ゆくゆく私を助けてくれるだろう。
例文1は食べたものが栄養になるという意味での「血となり肉となる」。この用法で「血となり肉となる」が使われるのは、決まって食べ物の大切さを説く時や、好き嫌いに対して苦言を呈する際であるような気がします。単体で「食べたものは血となり肉となる」と言われたところで当たり前すぎるからでしょうね。
そして例文2。こちらは経験が身になるという意味での「血となり肉となる」。大変な際に自らを鼓舞する、あるいは他人に対して励ます時、または人生について諭す際にも使われます。幅広いシーンで使える用法だと言えるでしょう。
「消化する」
こちらは「血となり肉となる」が持つふたつの意味どちらにも対応した慣用句です。摂取したものが自らの一部なる過程を表した単語という意味では非常に似た意味を持っていますが、厳密にはどちらの意味も少しずつ異なっています。
食べ物が栄養に変わる意味では、こちらは吸収よりも容積が小さくなっていく過程にフォーカスしているという違いがあるのです。食事をし、体内に取り入れられた食べ物は各臓器を経由し、栄養として吸収されながらどんどん小さくなっていきますから。そして経験が身になる方の意味は、ほとんど同じですが、「乗り越える」意味も持っていることが相違点です。
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