
端的に言えば世知辛いの意味は「暮らしにくい」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
今回は日本文学部卒の現役WEBライター、ヒマワリを呼んです。一緒に「世知辛い」の意味や例文、類語などを見ていきます。
ライター/ヒマワリ
今回の記事を担当するのは、日本文学科卒で現役ライターのヒマワリ。専攻は近代文学だが、古典からマンガまで幅広く読んでいる。受験生家庭教師の経験を生かして、「世知辛い」についてわかりやすく丁寧に説明していく。
「世知辛い」の意味や語源・使い方まとめ

image by iStockphoto
「世知辛い」は「せちがらい」と読みます。普段何気なく使っている人も少ないないでしょう。ですが、正確な意味を説明しようと思うとなかなか難しいかも知れません。それでは早速「世知辛い」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。
「世知辛い」の意味は?
まず初めに「世知辛い」の正確な意味を辞書からの引用で確かめてみましょう。「世知辛い」には、次のような意味があります。
1.利害損失にこだわる人が多く、いろいろと煩わしく感じられる様子。
2.大様さに欠け、細かい勘定にこだわる様子だ。
出典:新明解国語辞典(三省堂)「世知辛い」
上記のように、「世知辛い」には二つの意味があります。1の意味は、打算的な人が多く世の中が生きにくいと言うことで、つまり世渡りしにくいと言う意味ですね。2の意味は、抜け目なく、ケチである、と言う意味です。
「世知辛い」の語源は?
次に「世知辛い」の語源を確認しておきましょう。「世知」は元々は仏教用語です。「世」は世俗、「知」は仏教用語の「智慧」(知恵と同義)を意味指しています。つまり、俗世間を渡る知恵、処世術、と言う意味だったのです。また、「辛い」には、からい、つらい、と言う意味はなく、「世知」を協調している言葉だと考えられています。そして、時代を経て、本来は処世術を意味していた「世知」の意味が転じて、計算高い、抜け目ない、けち、と言う意味に変わっていったのです。そこからさらに、使い方が派生して、抜け目ない人が多く暮らしにくい、生きづらい、と言う意味でも使われるようになっていったと考えられています。
\次のページで「「世知辛い」の使い方・例文」を解説!/