「認識」
「認識」(にんしき)はあるものごとを知り、本質や意義を理解することです。「認識が甘い」や「一般大衆に正しく認識されている」などの使い方があります。「啓蒙」の明確な同義語としてではありませんが、「啓蒙」されたことにより思想や知識を「認識」することでしょうか。
「無知」
「無知」(むち)は教養のないこと、知識や知恵のないことやその様子をいいます。「啓蒙」のように人に知識を与えて導くための知識がない状態で、無知につけこまれることで悲劇に巻き込まれてしまうこともあり、昔から小説の題材にもなったりしました。そのために「啓蒙」が必要です。「お金のことに関しての無知につけこまれ、大打撃をこうむった」や「今までの勉強不足がたたって無知を露呈してしまった」などの使い方をします。
「騙す」
「騙す」(だます)はご存知のとおり人に嘘を言って騙すことです。他にもいろいろな意味がありますが、「啓蒙」の対義語としては間違った知識を教えて考える隙も与えず騙した人の都合のいいように操ることや、間違えたことを教えて騙した対象が恥をかいたり損害を与えられたりすることを喜ぶことで、悪趣味ですね。
「enlightenment」
「啓蒙」を英訳すると「enlightenment」になります。「啓蒙」するは「enlighten」か「educate」になり啓蒙的は「enlightening」似た意味で教育的は「educational」です。余談ですが体育は英語で「physical educcation」といい「physical」は身体の、肉体のという訳になり、直訳すると「身体的な啓蒙」で自分の体を正しく維持するための教育という意味なのでしょうか。
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