
1.あの教師はとても厳しいことで有名だが、とても生徒思いなので、あの厳しさは愛の鞭だろう。
2.愛の鞭だと思って、本人の成長を願ってかけた言葉が、本人にとってはただの暴言だったようだ。
3.子供へイライラをぶつけて虐待しているだけのようにみえるが、あの母親自身は「あれは子供を思ってのこと。愛の鞭だ。」と主張している。
「愛の鞭」の意味は、「愛するがゆえに厳しく?りつけること。その人のためを思ってする?責。」ですので、「教育的立場」や「世話をする側」の人間が、「教育される立場」や「世話をされる側」の人間にふるう鞭ということになるでしょう。そのため、上記例文のように使われます。
例文1のように、「厳しさ」と「生徒思い」がしっかりと両立している場合は、「愛の鞭」であると認識されますが、例文2のように、「本人にとってはただの暴言」として捉えられた場合は、それはもはや「愛の鞭」ではなく「ただの鞭」です。また、例文3のように、「愛の鞭」にかこつけて、ただ八つ当たりをしているというパターンもあります。こういった使い方は良くないですね。
「獅子の子落とし」
「愛の鞭」の類義語として、「獅子の子落とし」が挙げられます。意味は、以下の通りです。
《獅子は、子を生むとその子を深い谷に投げ落とし、よじ登って来た強い子だけを育てるという言い伝えから》自分の子に苦難の道を歩ませ、その器量を試すことのたとえ。
出典:デジタル大辞泉(小学館)「獅子の子落とし」
「獅子の子落とし」の意味は、「自分の子に苦難の道を歩ませ、その器量を試すこと。」です。「自分の子」と限定していますが、「自分の子を思って、あえて厳しくする」という点で、「愛の鞭」と似た意味を持っています。
「獅子の子落とし」でも「愛の鞭」でも、同様の事が言えますが、やりすぎは禁物です。その時点で、「愛を持った関係」が崩壊してしまいます。もしもあなたが、「厳しくされている側」の人で、「やりすぎだ」と思っている場合には、「チャイルドライン」などの相談センターにSOSを出してみてください。(18歳以下の子供が対象です。)また、自分の周りで「獅子の子落とし」や「愛の鞭」にしては、やりすぎなしつけや指導を見つけた場合には、「児童相談所」などにお問い合わせしてみて下さい。何かあってからでは遅いのですから。
自分のいる家庭内でそういったことを見つけた場合も同様です。虐待は、意外と身近に起こっていることもありますから、そういったことを相談できるようなネットワークやサポートサービスについて、日頃から情報収集しておくことも大切ですね。
「愛の鞭」の対義語は?
次に、「愛の鞭」の対義語を見ていきましょう。
「歯牙にもかけない」
「愛の鞭」の対義語として、「歯牙にもかけない」という言葉が挙げられます。意味は以下の通りです。
問題にしない。無視して相手にしない。「世間のうわさなんか―◦ない」
出典:デジタル大辞泉(小学館)「歯牙にもかけない」
「歯牙にもかけない」の意味は「問題にしない。無視して相手にしない。」という意味です。「愛」の反対は「無関心」と言えますから、「歯牙にもかけない」は、「愛の鞭」の対義語と言えますね。
「無関心」というのも、それを受ける側からすると恐怖を抱くものです。本来普通に接してくれるはずの家族や先生から、そんな扱いを受けてしまうと、「自分はこの世界に必要とされていない」という気持ちになってしまうこともあります。その気持ちがエスカレートしてしまうと、自分で命を絶つという行動をとってしまうかもしれません。指導者としては、「愛の鞭」を正しく使い、「歯牙にもかけない」行動は慎むべきですね。
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