世界史

5分で分かる「大航海時代」航路開拓の背景や植民地化の流れを元大学教員が開設

オスマン帝国の興隆により交易ルート開拓が不可欠に

インドなどのアジアで栽培されているスパイスはヨーロッパにほとんど自生していませんでした。一部、栽培するケースはあったものの、収穫量が少なく高価になる傾向が。そのためアジア諸国との取引が必須だったのです。

しかしながら、ヨーロッパ諸国がアジアと輸出・輸入の取り引きをする場合、オスマン帝国の領土を通過する必要がありました。そこで要求されたのが多額の関税。そのためヨーロッパ諸国は、オスマン帝国を避けて海からアジアに行こうと考えました。

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スパイスは、香りはもちろん独特の刺激がある。これが当時のヨーロッパの人々にとって魅惑の味となったのだろう。中世ヨーロッパで大流行したペストにサフランが効くという噂が広まったことも大きいようだ。

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大航海時代を牽引した探検家たち

image by PIXTA / 30780472

大航海時代は、多数の探検家や船員が海を渡りましたが、そのなかにも何人かの象徴的な人物が存在します。探検隊が目指したのはインドやその先にある日本。思い通りに事は進まず、結果としてあちらこちらの航路が開拓されました。

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エンリケ航海王子が西アフリカに到達

エンリケは、ポルトガル王の王子であり、大航海時代の重要なパトロンのひとり。世界史の教科書では、実際に航海したように書かれていることもありますが、彼はあくまで探検事業家。実際に船に乗って航海することはありませんでした。

エンリケの資金の多くは、彼もメンバーであったキリスト騎士団により提供されたもの。キリスト教の布教も彼の航海熱を高めました。エンリケが派遣した探検隊が成功したのが西アフリカ探検。ボハドル岬の先には世界の果てがあるという迷信が打ち破られました。

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喜望峰を経由したインド洋航路が開拓される

現在の南アフリカの都市ケープタウンから南へ延びるケープ半島の端っこにあるのが喜望峰。1488年にポルトガルの探検家であるバルトロメウ・ディアスが到達しました。このときの航路の開拓は、インドへ向かう香辛料の貿易ルートを一気に短縮させることに貢献します。

ディアスは、荒れ狂う海域の様子から嵐の岬と命名しました。しかしながら香辛料をもたらす夢のルートだったことから、のちにポルトガル王が希望の岬と改名。英語表記はCape of Good Hopeですが、日本では喜望峰という呼び名が定着しています。

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この時代は、地球の果てまで行くと煮えたぎる海が広がっていると考える人も多かった。大航海時代を通じて地球が丸いことが認識されていく。エンリケが派遣した探検隊は、航海に対する恐怖心を弱めて探検熱を加速させたと言ってもいい。

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大航海時代のシンボルとなった「新大陸発見」

大航海時代のクライマックスのひとつが「新大陸発見」。アメリカ大陸に初期に上陸した人のひとりが、ジェノヴァ商人だったクリストファー・コロンブスです。コロンブスは、西回りのインド航路を開拓するためにスペインの支援を受けて航海に出ました。

ここで「新大陸発見」とカッコつきで書いていることには明確な理由があります。アメリカ大陸はコロンブスが来る前から存在。先住民が昔から住んでいました。そのため「新しい」「発見」という言葉はNG。今では教科書から消えつつある表現です。

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hikosuke